成功しているのに、心が空しい
The Empty Heart of a Successful Person
― 成果では満たせない心、達成を超えた人生の意味、そしてキリストにある本当の充足 ―
著者:Prof. Dr. Lawrence M. F. Adams
はじめに
「私は成功している。それなのに、なぜ空しいのだろう」
社会から見れば、あなたは成功しているかもしれない。
良い仕事をしている。
高い学歴を持っている。
会社を経営している。
昇進した。
収入が増えた。
大きな家を手に入れた。
立派な肩書きを持っている。
多くの人から尊敬されている。
SNSには、あなたの成功を示す写真が並んでいる。
しかし、夜になって一人になると、心の奥から別の声が聞こえてくる。
「これで本当に十分なのだろうか。」
「私は、何のためにこんなに頑張っているのだろう。」
「次の目標を達成したら、本当に満たされるのだろうか。」
「なぜ成功しているのに、心が休まらないのだろう。」
「誰にも言えないけれど、私は疲れている。」
この感覚は、必ずしも失敗の証拠ではない。
むしろ、外面的な成功と内面的な充足が同じものではないことを示している可能性がある。
人間は、成果だけを求めて生きる存在ではない。
人間には、関係、愛、所属、意味、価値、希望、そして自己を超える目的を求める深い欲求がある。Baumeister and Leary(1995)は、人間には他者との持続的で意味のある関係を求める基本的な欲求があると論じた。また、Ryan and Deci(2000)は、自律性、有能感、関係性という基本的心理欲求が人間の健全な動機づけと発達に重要であると説明している。
つまり、
成功していることと、満たされていることは同じではない。
この違いを理解することは、人生を失敗から救うためだけではない。
それは、成功した後の人生をどう生きるかを考えるためにも必要である。
本書は、成功を否定する本ではない。
仕事を否定する本でもない。
お金を否定する本でもない。
目標を持つことや努力することを否定する本でもない。
むしろ本書が問いかけるのは、
「成功を手に入れた後、あなたの心はどこに向かうのか」
ということである。
そして本書では、キリスト教の視点から、もう一つの可能性を考える。
人間の心が最終的に求めているものは、単なる「もっと多くのもの」ではなく、神との関係、恵み、赦し、愛、目的、そしてキリストにある新しい命なのではないか。
第1章
成功しているのに、なぜ空しいのか
成功は通常、良いものとして理解される。
しかし、成功には一つの危険がある。
それは、成功すればするほど、次の成功を必要とするようになることである。
一つの目標を達成すると、次の目標が現れる。
大学を卒業する。
就職する。
昇進する。
管理職になる。
役員になる。
会社を成長させる。
年収を増やす。
資産を増やす。
社会的評価を高める。
しかし、そのたびに心が言う。
「次は何だろう。」
心理学では、外的報酬だけに依存した動機づけには限界があることが論じられてきた(Deci & Ryan, 2000)。
外的成功は、満足を与える。
しかし、必ずしも意味を与えるとは限らない。
賞状はあなたが何を達成したかを示す。
肩書きはあなたが組織の中で何をしているかを示す。
銀行口座はあなたがどれだけ蓄えたかを示す。
しかし、それらは必ずしも、
「私は誰なのか」
という問いに答えてくれない。
第2章
成果と価値は同じではない
現代社会では、人間の価値が成果によって測られやすい。
「何を達成しましたか。」
「どこで働いていますか。」
「役職は何ですか。」
「年収はいくらですか。」
「どの大学を出ましたか。」
「何人の部下がいますか。」
「どのくらいの会社を経営していますか。」
こうした質問は社会生活では自然である。
しかし、それだけで人間の価値を測ることはできない。
あなたの価値と、あなたの業績は同じではない。
今日、あなたが成功していても、明日その成功を失う可能性がある。
役職は変わる。
会社は変わる。
市場は変わる。
健康状態は変わる。
経済環境は変わる。
しかし、人間の尊厳そのものまで、それによって消滅するわけではない。
聖書は、人間が神のかたちに造られた存在であると語る(創世記1:26–27)。
これは重要な考え方である。
人間の価値は、人間が何を達成したかだけによって決まるのではない。
第3章
「もっと」という終わりのない言葉
成功志向の人は、しばしば「もっと」という言葉を使う。
もっと売上を。
もっと利益を。
もっと知識を。
もっと権限を。
もっと影響力を。
もっと論文を。
もっと学生を。
もっと名声を。
もっと資産を。
もっとフォロワーを。
もっと評価を。
「もっと」は、悪い言葉ではない。
成長は必要である。
しかし、「もっと」が人生の中心になると問題が起こる。
なぜなら、「もっと」には終点がないからである。
10を達成すると20が必要になる。
20を達成すると50が必要になる。
そして、ある日ふと気づく。
「私はいつ満足するのだろう。」
第4章
成功の「適応」
人間は、良い出来事にも適応する。
大きな昇進をした。
最初は嬉しい。
しかし数か月後、それが「普通」になる。
新しい車を買った。
最初は興奮する。
しかし時間が経つと、それは日常になる。
新しい家を買った。
最初は感動する。
しかし、その家もやがて日常になる。
心理学・行動科学では、こうした現象はしばしば「ヘドニック・アダプテーション(快楽への適応)」として研究されている。
つまり、人間は新しい幸福条件に慣れてしまうことがある。
その結果、
「幸せになるために、さらに何かを手に入れなければならない」
という循環が生まれる。
第5章
成功依存
すべての努力家が成功依存というわけではない。
しかし、成功が自己価値を維持するための主要な手段になると、危険が生じる。
「成功している私は価値がある。」
「失敗した私は価値がない。」
この二つの考えは、人生を非常に不安定にする。
なぜなら、人間は永遠に成功し続けることができないからである。
どれほど優秀な経営者でも、すべての市場変化を制御できない。
どれほど優秀な研究者でも、すべての研究が成功するわけではない。
どれほど優秀な教授でも、すべての学生に評価されるわけではない。
どれほど優秀な専門家でも、すべての問題を解決できるわけではない。
したがって、
「私は成功しているから価値がある」
というアイデンティティは脆い。
第6章
「私は私の仕事なのか」
専門職の人々にとって、これは重要な問いである。
あなたがCEOなら、
「CEOであること」と「あなた自身」を区別できるだろうか。
教授なら、
「教授であること」と「あなた自身」を区別できるだろうか。
医師なら、
「医師であること」と「あなた自身」を区別できるだろうか。
弁護士、会計士、研究者、起業家、管理職、コンサルタント、エンジニア、政治家、教育者、技術者など、どの職業でも同じである。
職業はあなたの重要な一部である。
しかし、
職業はあなたのすべてではない。
あなたが職業を失ったとしても、人間としての尊厳まで失ったわけではない。
第7章
肩書きがなくなったら、私は誰なのか
想像してみよう。
明日の朝、あなたからすべての肩書きが取り去られたとする。
名刺がなくなる。
会社の役職がなくなる。
学位がなくなる。
受賞歴がなくなる。
SNSのフォロワーもなくなる。
そのとき、
「私は誰なのか」
という問いが残る。
この問いは恐ろしいかもしれない。
しかし、同時に重要である。
なぜなら、この問いの中に、本当のアイデンティティを発見する入口があるからである。
第8章
人から認められること
承認を求めること自体は、人間として自然である。
私たちは、他者から認められたい。
評価されたい。
愛されたい。
尊敬されたい。
しかし、人からの評価を人生の土台にすると、心は常に他者の反応に左右される。
褒められれば嬉しい。
批判されれば落ち込む。
昇進すれば自信が出る。
降格すれば自分が小さく感じる。
SNSの「いいね」が増えれば安心する。
反応がなければ不安になる。
これは非常に疲れる生き方である。
第9章
孤独な成功者
成功者が孤独になることがある。
周囲には人がいる。
しかし、本音を話せる人がいない。
なぜなら、成功している人には、
「弱さを見せてはいけない」
という圧力があるからである。
部下には弱さを見せられない。
同僚には見せられない。
顧客にも見せられない。
家族にも心配をかけたくない。
だから笑顔を作る。
「大丈夫です。」
「順調です。」
「問題ありません。」
しかし、心の中では、
「本当は疲れています。」
と言っている。
第10章
誰にも言えない疲れ
疲労には身体的なものだけではない。
精神的な疲れもある。
感情的な疲れもある。
霊的な疲れもある。
責任を背負い続けることは、人間を疲れさせる。
意思決定を続けることも疲れる。
人間関係の調整も疲れる。
期待に応え続けることも疲れる。
「成功している人だから疲れない」ということはない。
むしろ、高い責任を負う人ほど、深い疲労を抱えることもある。
だからこそ、休息は弱さではない。
休息は人間性の一部である。
第11章
休めない人
成功志向の人の中には、
「休んでいると遅れる」
と考える人がいる。
「他の人は働いている。」
「競争相手は前進している。」
「今休んだら負ける。」
しかし、人間は機械ではない。
睡眠、休息、人間関係、静かな時間、自然、礼拝、祈り、内省などは、人間の生活に重要な役割を持つ。
休むことは、
「何もしないこと」
ではない。
休むことは、
「自分が世界を完全に支配しなくてもよい」と認めること
でもある。
第12章
仕事は人生の主人ではない
仕事には尊い価値がある。
働くことによって人間は社会に貢献する。
他者にサービスを提供する。
新しいものを生み出す。
雇用を創出する。
知識を発展させる。
社会を改善する。
しかし、
仕事が人生そのものになると、仕事を失ったとき人生そのものを失ったように感じる。
だから仕事を愛することと、仕事を神にすることは違う。
第13章
お金は必要だが、神ではない
お金は必要である。
生活するために必要である。
家族を支えるためにも必要である。
教育にも必要である。
医療にも必要である。
慈善にも使える。
社会への投資にも使える。
したがって、キリスト教は単純に「お金は悪い」と教えているわけではない。
問題は、お金そのものではなく、
お金が人生の究極的な価値になること
である。
イエスは、人が神と富の両方を同時に人生の主人として扱うことの難しさについて教えた(マタイ6:24)。
第14章
成功は罪ではない
ここで明確にしておきたい。
成功そのものが罪なのではない。
優秀であることが罪なのでもない。
富を持つことが自動的に悪いわけでもない。
リーダーになることも悪くない。
大きな会社を経営することも悪くない。
研究で世界に貢献することも悪くない。
問題は、
「何のために成功するのか」
である。
成功が自分だけの栄光のためなのか。
それとも、他者に仕え、社会を良くし、与えられた能力を責任をもって用いるためなのか。
キリスト教では、仕事そのものよりも、心の方向が重要になる。
第15章
成功の裏側にある恐怖
多くの成功者は、成功そのものだけを恐れているのではない。
成功を失うことを恐れている。
「もし失敗したら?」
「もし会社が倒産したら?」
「もし昇進できなかったら?」
「もし若い人に追い越されたら?」
「もし誰にも必要とされなくなったら?」
この恐怖は、人間を成功に縛りつける。
成功が喜びではなく、
失うことへの恐怖
になってしまう。
第16章
比較という罠
比較は心を奪う。
自分の成功を見るのではなく、
「他人より成功しているか」
を見るようになるからである。
そして現代のデジタル社会では、他者の成功が24時間目に入ってくる。
旅行。
高級車。
豪邸。
受賞。
昇進。
学位。
出版。
事業成功。
しかし、SNSに映るのは人生の一部である。
他者の「見せられた瞬間」と、自分の「見せたくない現実」を比較してはいけない。
第17章
成功と幸福
成功は幸福に影響することがある。
しかし、成功だけが幸福を決定するわけではない。
人間の幸福には、人間関係、意味、健康、心理的安定、自律性、所属感など、多くの要素が関係する(Ryan & Deci, 2000)。
だから、
「もっと成功すれば、もっと幸せになる」
という単純な公式は成立しない。
第18章
人間には「意味」が必要である
Viktor Franklは、強制収容所での経験と精神医学的洞察を通して、人間の意味への欲求を強調した(Frankl, 2006)。
人間は単に快楽を求めるだけではない。
「なぜ生きるのか」
を求める。
この問いに対する答えがなくなると、成功していても心が空しくなることがある。
なぜなら、
「何を持っているか」
と
「なぜ生きているか」
は別の問いだからである。
第19章
「何のために?」という問い
あなたが会社を経営しているなら、
「何のために?」
と問うてみよう。
あなたが研究者なら、
「何のために研究するのか?」
と問うてみよう。
あなたが教授なら、
「何のために教えるのか?」
と問うてみよう。
あなたが医師なら、
「何のために治療するのか?」
と問うてみよう。
あなたが経営者なら、
「利益の先に何を目指しているのか?」
と問うてみよう。
目的が明確になると、仕事は単なる作業ではなくなる。
第20章
成功と召命
キリスト教には「召命(calling)」という考え方がある。
召命とは、単に牧師や宣教師になることを意味しない。
自分に与えられた能力、機会、責任を通して、神と隣人に仕える方向性として理解することができる。
経営者も召命を持ち得る。
教授も召命を持ち得る。
研究者も召命を持ち得る。
医師も召命を持ち得る。
技術者も召命を持ち得る。
母親も父親も召命を持ち得る。
つまり、
仕事は単なる収入源ではなく、奉仕の場にもなり得る。
第21章
「私は何を得るか」から「私は何を与えるか」へ
成功志向の人生は、
「私は何を得られるか」
から始まりやすい。
キリストの教えは、その方向を反転させる。
「私は何を与えられるか。」
「私は誰に仕えることができるか。」
イエスは、弟子たちの間で「偉い者」となることについて、仕える者になることを教えた(マルコ10:43–45)。
これはリーダーシップに対する根本的な再定義である。
本当のリーダーシップとは、他者を支配することだけではなく、他者に仕えることである。
第22章
成功した人が「愛」を失うとき
キャリアを築くことに集中している間に、家族との関係が薄くなることがある。
子どもの成長を見逃すことがある。
友人との関係を失うことがある。
夫婦の会話が減ることがある。
そしてある日、
「なぜ私はこんなに成功しているのに、一緒に喜ぶ人が少ないのだろう」
と気づく。
成功は、人間関係の代わりにはならない。
Baumeister and Leary(1995)が示すように、他者との意味ある結びつきは人間の基本的欲求に関わる。
第23章
孤独は「人がいないこと」だけではない
人に囲まれていても孤独になることがある。
会議室には10人いる。
電話は鳴っている。
メールは届いている。
SNSには何千人ものフォロワーがいる。
それでも、
「誰も私を本当に知らない」
と感じることがある。
孤独とは、単なる人数の問題ではない。
「自分が本当に理解され、受け入れられていると感じるか」
という問題でもある。
第24章
神の前では肩書きがいらない
キリスト教の大きな魅力の一つは、神の前に出るために立派な履歴書が必要ではないということである。
神の前では、
CEOである必要はない。
教授である必要もない。
成功者である必要もない。
完璧である必要もない。
人間はそのまま神の前に出ることができる。
聖書は、人間が神の恵みによって救われることを教える(エフェソ2:8–9)。
これは、成功によって神の愛を「買う」必要がないことを意味する。
第25章
恵みという新しい言葉
成功社会では、
「努力すれば得られる」
という原則が強い。
もちろん努力は重要である。
しかし、すべてを努力だけで得ることはできない。
命そのもの。
愛。
友情。
赦し。
時間。
自然。
信頼。
そして救い。
これらには「恵み」という側面がある。
キリスト教において恵みとは、
自分の功績によって獲得するものではなく、神から与えられるもの
である。
第26章
「私は十分ではない」
成功志向の人は、心の奥でこの言葉を抱えていることがある。
「私はまだ十分ではない。」
もっと学ばなければならない。
もっと稼がなければならない。
もっと認められなければならない。
もっと成果を出さなければならない。
しかしキリスト教の福音は、別のメッセージを語る。
「あなたは、成果を積み上げて初めて愛される存在なのではない。」
神の愛は、業績に対する給与ではない。
第27章
神の愛は報酬ではない
人間社会では、努力と報酬が結びつく。
しかし、神の愛をその仕組みで考える必要はない。
ヨハネ3:16は、神が世界を愛し、御子を与えたことを語る。
ここにキリスト教の中心的なメッセージがある。
神の愛は、
「成功した人への賞品」
ではない。
失敗した人を締め出すためのものでもない。
神の愛は、人間に向けられた恵みとして示されている。
第28章
十字架は「成功」とは違う
十字架は、世界の成功基準から見れば敗北に見える。
イエスは王座ではなく十字架にかけられた。
権力ではなく犠牲。
支配ではなく奉仕。
自己保存ではなく自己献身。
キリスト教において十字架は、成功の意味そのものを問い直す。
人生の価値は、どれだけ多く獲得したかだけではなく、どれだけ愛し、仕え、与えたかにもある。
第29章
「成功」から「忠実」へ
成功とは、
「どれだけ大きくなったか」
で測られることがある。
しかし聖書的な視点では、
「どれだけ忠実であったか」
という問いも重要である。
結果を完全に支配することはできない。
しかし、自分の態度、誠実さ、愛、責任、信仰、奉仕については、できる限り選択できる。
だから、
結果だけではなく、忠実さを人生の尺度にする。
第30章
失敗したとき、何が残るのか
人生で本当に重要なものを知る一つの方法は、
「もしすべてを失ったら、何が残るだろう」
と考えることである。
お金を失ったら。
仕事を失ったら。
肩書きを失ったら。
会社を失ったら。
名声を失ったら。
そのとき何が残るだろう。
家族。
友人。
人格。
信仰。
愛。
記憶。
そして神との関係。
こうしたものは、財務諸表には完全には表れない。
第31章
お金では買えないもの
お金で多くのものを買うことができる。
しかし、
本当の友情を買うことはできない。
真実の愛を買うこともできない。
過去の時間を買い戻すこともできない。
赦しを強制的に買うこともできない。
人生の意味を購入することもできない。
そして、神との関係を金銭で購入することもできない。
第32章
成功しても死は避けられない
この問いは厳しい。
どれほど成功していても、人間は有限な存在である。
地位も永遠ではない。
財産も永遠ではない。
身体も永遠ではない。
だから人生には、
「最後に何が残るのか」
という問いがある。
キリスト教は、この問いに対して復活の希望を提示する。
パウロは、キリストの復活をキリスト教信仰の中心的出来事として語る(1コリント15:3–4)。
第33章
復活は成功物語ではない
キリストの復活は、
「もっと成功するための秘訣」
ではない。
それは、
死が最後の言葉ではない
というキリスト教の希望である。
人生の意味は、現在の業績だけで完結しない。
神との関係は、人生を超えた希望へとつながる。
第34章
心の空洞
人間の心には、物質的成功だけでは埋められない領域がある。
その空洞を、
買い物で埋めようとする人もいる。
仕事で埋めようとする人もいる。
恋愛で埋めようとする人もいる。
名声で埋めようとする人もいる。
アルコールやその他の依存的行動に逃げる人もいる。
しかし、一時的な刺激と根本的な充足は同じではない。
だから必要なのは、
空洞を何かで覆うことではなく、空洞そのものを理解すること
である。
第35章
心の声を聞く
成功者には、静かな時間が必要である。
スマートフォンを置く。
メールを閉じる。
仕事を止める。
静かに座る。
そして自分に問う。
「私は本当は何を求めているのだろう。」
「何が怖いのだろう。」
「何を失うことを恐れているのだろう。」
「誰から認められたいのだろう。」
「私は誰を愛しているだろう。」
「神を人生のどこに置いているだろう。」
こうした問いは、人生を再構築する入口になる。
第36章
自分の人生を他人の期待から取り戻す
成功の一部は、他人の期待によって作られる。
親の期待。
社会の期待。
会社の期待。
顧客の期待。
同僚の期待。
友人の期待。
しかし、
他人の期待に応え続けるだけでは、自分自身の人生を失う可能性がある。
自分の価値観を見直す必要がある。
第37章
「私は何を愛しているのか」
この問いは非常に重要である。
あなたが時間とお金と注意を何に使っているかを見ると、
「何を愛しているか」
が見えてくることがある。
時間は、価値観を可視化する。
お金も価値観を可視化する。
注意も価値観を可視化する。
だから、自分のスケジュールを見てみよう。
そこには、あなたが本当に大切にしているものが現れているだろうか。
第38章
「何を持っているか」から「誰であるか」へ
成熟した人生では、
「何を持っているか」
から、
「私は誰なのか」
へと問いが移っていく。
さらに、
「私は誰のものなのか」
という問いにも進むことができる。
キリスト教は、人間を神との関係の中で理解する。
人間は孤立した自己ではない。
創造主との関係を持つ存在として理解される。
第39章
神との関係
キリスト教の救いは、単なる「宗教的ステータス」ではない。
救いとは、神との関係の回復として理解できる。
罪によって神から離れた人間を、神がキリストによって招く。
ローマ5:8は、キリストが人間のために死なれたことを通して神の愛が示されたと語る。
ここに福音の中心がある。
人間が神を探しているだけではない。神の側から人間を招いている。
第40章
イエスは成功者だけを招いたのではない
イエスの周囲には、
成功した人もいた。
失敗した人もいた。
社会的に評価された人もいた。
社会から軽視された人もいた。
富める人もいた。
貧しい人もいた。
イエスの招きは、
「成功してから来なさい」
ではなかった。
むしろ、
「来なさい」
という招きだった。
第41章
「疲れた人は来なさい」
マタイ11:28でイエスは、疲れた人、重荷を負っている人を招いている。
これは成功者にも向けられる言葉である。
疲れているなら、
「もっと頑張れ」
だけが答えではない。
「来なさい」
という言葉がある。
休息。
関係。
恵み。
信頼。
そして神との交わり。
第42章
「頑張る」から「受け取る」へ
成功志向の人生では、
「自分で獲得する」
ことが中心になりやすい。
しかし福音では、
「神から受け取る」
という姿勢が重要になる。
救いは自分の業績によって獲得するものではない。
エフェソ2:8–9は、救いが恵みによるものであり、人間の誇りの根拠ではないことを教えている。
第43章
赦されるということ
成功者にも過去がある。
間違い。
失敗。
傷つけた人。
壊れた関係。
言ってはいけなかった言葉。
しなければよかった決断。
成功しているからといって、過去が消えるわけではない。
キリスト教では、赦しが重要な位置を占める。
1ヨハネ1:9は、罪を告白する者に対する神の赦しを語る。
第44章
過去はあなたの最終的な身分ではない
あなたは、
「失敗した人」
だけではない。
「離婚した人」
「倒産した人」
「解雇された人」
「研究に失敗した人」
「会社を失った人」
という過去の出来事だけで、あなたの人生全体を定義することはできない。
過去は物語の一章である。
最後のページではない。
第45章
「キリストにある新しい人」
2コリント5:17では、キリストにある者について「新しく造られた者」という希望が語られる。
これは、
「過去が存在しなかったことになる」
という意味ではない。
むしろ、
過去を持ったまま、新しい方向に歩み始めること
を意味する。
傷を否定しない。
失敗を否定しない。
しかし、それらによって未来を完全に決めさせない。
第46章
新しい人生とは何か
キリストにある新しい人生は、
「すべての問題が消える人生」
ではない。
むしろ、
問題の中でも希望を持つ人生。
失敗しても赦しを知る人生。
孤独の中でも神との関係を求める人生。
他者に仕える人生。
愛する人生。
目的を持つ人生。
永遠の希望を持つ人生である。
第47章
成功を「奉仕」に変える
あなたが持っている成功は、誰かの助けになるかもしれない。
あなたの知識。
あなたの資金。
あなたの経験。
あなたのネットワーク。
あなたの教育。
あなたの経営能力。
あなたの専門性。
これらを他者のために用いるとき、
成功は単なる自己利益から、
奉仕の道具
へと変わる。
第48章
リーダーシップの再定義
世界は、
「上に立つ人」
をリーダーと考えやすい。
しかしイエスは、
「仕える人」
という別のリーダーシップを示した。
これは弱いリーダーシップではない。
責任を持ちながら仕える。
決断しながら謙遜する。
権限を持ちながら他者を尊重する。
成功しながら他者を引き上げる。
これがキリスト教的リーダーシップの重要な側面である。
第49章
成功を次世代へ渡す
本当の成功とは、
「自分がどれだけ高く上がったか」
だけではない。
「自分の後に来る人をどれだけ高く引き上げたか」
という問いもある。
知識を教える。
若い人を育てる。
学生を指導する。
後継者を育てる。
貧しい人を支援する。
社会に貢献する。
こうした行為は、自分の成功を他者の未来へ変換する。
第50章
富を目的ではなく管理する
キリスト教では、人間は所有者であると同時に管理者として理解される。
持っているものを、
「私のものだから、私のためだけに使う」
のではなく、
「どう使えば他者と社会に良い影響を与えられるか」
と考える。
これは富の価値を否定する考え方ではない。
むしろ、
富に目的を与える考え方
である。
第51章
学問にも目的がある
学位は素晴らしい。
研究も素晴らしい。
知識も価値がある。
しかし、知識が増えても知恵が増えるとは限らない。
知識は、
「何を知っているか」
を問う。
知恵は、
「その知識を何のために使うか」
を問う。
教育者や研究者にとって、この違いは重要である。
第52章
キャリアの終わりを考える
いつか、すべてのキャリアには終わりが来る。
退職。
引退。
世代交代。
役職変更。
会社の売却。
研究生活の終了。
だからこそ、
「キャリアが終わったら、私は誰なのか」
を今から考えておくことは重要である。
人生は職業より長い。
第53章
引退は「無価値」ではない
社会は生産性を重視する。
しかし、人間の価値は生産量だけで決まらない。
引退した人には経験がある。
知恵がある。
物語がある。
次世代に伝えられるものがある。
だから人生の後半は、
「もう役に立たない」
のではなく、
「別の方法で役に立つ」
時期になり得る。
第54章
人生の第二の召命
人生には一つの季節だけがあるわけではない。
若い時期には学ぶ。
中年期には築く。
成熟期には導く。
後半には伝える。
こうした人生の季節を、神への奉仕と他者への貢献として再解釈することができる。
第55章
成功の意味を変える
もし成功の定義を変えたらどうなるだろう。
成功とは、
「最も多く所有すること」
ではなく、
「最も意味ある方法で生きること」。
成功とは、
「最も有名になること」
ではなく、
「最も誠実に生きること」。
成功とは、
「誰より上に立つこと」
ではなく、
「他者を引き上げること」。
成功とは、
「すべてを支配すること」
ではなく、
「神に信頼して忠実に生きること」。
このように考えると、人生の尺度が変わる。
第56章
本当の充足とは何か
充足とは、何も欲しくなくなることではない。
充足とは、
自分が持っているものと、自分が生きている目的との間に平安があること
とも考えられる。
人間は成長してよい。
もっと学んでもよい。
もっと稼いでもよい。
もっと成功してもよい。
しかし、
「もっと」が神になってはいけない。
第57章
神を中心に置く
人生の中心には何かが置かれている。
仕事かもしれない。
家族かもしれない。
お金かもしれない。
名声かもしれない。
自分自身かもしれない。
しかしキリスト教は、
神を中心に置く
という方向を示す。
これは仕事を捨てることではない。
仕事を正しい場所に戻すことである。
第58章
キリストは「何を持つか」ではなく「誰になるか」を問う
イエスの教えには、
「何を所有しているか」
以上に、
「どのような人間になるか」
という問いがある。
愛する。
赦す。
仕える。
謙遜になる。
真実を語る。
弱い人を大切にする。
正義を求める。
神を愛する。
隣人を愛する。
こうした人格は、履歴書には完全には書けない。
しかし人生には深く残る。
第59章
あなたは「成果」以上の存在である
あなたは業績以上の存在である。
あなたは肩書き以上の存在である。
あなたは収入以上の存在である。
あなたは学位以上の存在である。
あなたは会社以上の存在である。
あなたはSNS上のプロフィール以上の存在である。
あなたは、神の前に存在する一人の人間である。
そしてキリスト教の福音は、
「神はあなたを知っている」
と語る。
第60章
成功した人へのイエスの招き
イエスは、
「すべての成功を捨てなければ、私について来ることはできない」
と単純化したメッセージを与えているわけではない。
むしろ問われるのは、
「あなたの心の主人は誰なのか」
ということである。
仕事はあなたの人生を支えることができる。
しかし、仕事があなたの神になってはいけない。
お金はあなたの生活を支えることができる。
しかし、お金があなたの神になってはいけない。
名声はあなたに影響力を与えることができる。
しかし、名声があなたのアイデンティティになってはいけない。
第61章
成功から解放されるとは
成功から解放されるとは、
成功しなくなることではない。
成功を追いかける必要がなくなるということでもない。
それは、
「成功しなければ私は価値がない」という考えから自由になること
である。
そのとき努力は変わる。
恐怖から努力するのではなく、
使命から努力する。
承認を得るためではなく、
貢献するために働く。
自分を証明するためではなく、
与えられた能力を活かすために働く。
第62章
神の愛を「稼ぐ」ことはできない
これは成功者にとって特に重要なメッセージである。
仕事では、
努力 → 成果 → 報酬
という構造がある。
しかし神の愛は給与ではない。
「これだけ働いたから、神に愛される。」
「これだけ寄付したから、神に認められる。」
「これだけ奉仕したから、救われる。」
という考え方ではない。
キリスト教の福音は、救いを神の恵みとして理解する(エフェソ2:8–9)。
第63章
「私は十分にやった」と言える日
成功者は、なかなか「十分」と言えない。
もう一つの契約。
もう一つの論文。
もう一つのプロジェクト。
もう一つの昇進。
もう一つの投資。
もう一つの目標。
しかし人生には、
「十分だった」
と言える時が必要である。
安息とは、
「何も価値がない」
という意味ではない。
「自分がすべてを完成させなくても、神は神である」
と信頼することでもある。
第64章
安息という信仰
聖書には安息の考えが繰り返し登場する。
創世記には創造と安息が描かれる。
十戒にも安息日の原則が含まれる。
イエスも疲れた人を招いた。
これは現代の成功者にとって非常に重要なメッセージである。
あなたが世界を支えなければ世界が崩壊する、というわけではない。
あなたには休む権利がある。
第65章
家族に残したいもの
あなたの子どもたちが将来覚えているのは、
あなたの年収だけではないだろう。
あなたが一緒に食事をしたこと。
話を聞いてくれたこと。
失敗したとき励ましてくれたこと。
一緒に笑ったこと。
一緒に祈ったこと。
愛を示したこと。
人生で最も重要な遺産は、銀行口座だけではない。
人格と愛も遺産である。
第66章
友人に残したいもの
本当の友人は、あなたの肩書きがなくなってもあなたと付き合う人である。
だから、成功している時だけではなく、
苦しい時にも関係を育てよう。
本音を話せる関係を持とう。
他者の話を聞こう。
謝ることを学ぼう。
赦すことを学ぼう。
第67章
社会に残したいもの
人生の最後に、
「私はどれだけ持っていたか」
だけではなく、
「私は何を残したか」
と問うてみよう。
あなたが育てた人。
あなたが助けた人。
あなたが教育した人。
あなたが雇用した人。
あなたが励ました人。
あなたが社会に与えた知識。
あなたが示した誠実さ。
これらは、あなたの人生の「見えない遺産」になる。
第68章
神に何を残すのか
厳密に言えば、神に何かを「残す」必要はない。
神はすべてを所有する方だからである。
しかし、
「神から与えられた人生を、どのように用いたか」
という問いは残る。
能力。
時間。
資源。
影響力。
知識。
人間関係。
これらをどう用いたか。
それが重要になる。
第69章
もし今日、すべてを失ったら
想像してみよう。
明日、仕事がなくなった。
財産の大部分を失った。
肩書きがなくなった。
社会的評価が消えた。
そのとき、
「それでも私は生きる理由がある」
と言えるだろうか。
もし言えないなら、
今日から人生の土台を見直す必要がある。
第70章
キリストにある土台
キリスト教では、人生の最終的な土台をキリストに置く。
これは、
「クリスチャンになれば成功する」
という約束ではない。
むしろ、
成功しても失敗しても、キリストにあって自分の存在の意味を見失わない
という方向である。
第71章
信仰は現実逃避ではない
信仰とは、問題を無視することではない。
借金があるなら、計画が必要である。
会社が危機なら、経営上の対応が必要である。
家族関係が壊れているなら、対話と場合によっては専門的支援が必要である。
心身の健康に問題があるなら、医療・心理専門職の支援を受けることも重要である。
祈りは、専門的支援の代替ではない。
信仰と実際的な責任は両立できる。
第72章
心の健康を大切にする
「成功者だから弱音を吐いてはいけない」
という考え方は危険である。
深い空虚感、抑うつ、不安、睡眠問題、依存、希死念慮などがある場合には、信頼できる専門家に相談することが重要である。
キリスト教信仰を持つ人であっても、医師、心理士、カウンセラー、精神保健専門職などの支援を受けることができる。
祈りと専門的支援は敵ではない。
第73章
成功者にも涙がある
ヨハネ11:35には、イエスが涙を流したことが記されている。
短い言葉だが、深い意味を持つ。
イエスは人間の悲しみを無視しなかった。
だから成功者も、
泣いてよい。
悲しんでよい。
疲れてよい。
助けを求めてよい。
「大丈夫ではない」と言ってよい。
第74章
弱さを隠さなくてよい
社会は強さを評価する。
しかし神の前では、仮面をかぶる必要はない。
あなたの成功も知っている。
あなたの失敗も知っている。
あなたの努力も知っている。
あなたの恐れも知っている。
あなたが人に見せていない部分も知っている。
それでも神はあなたを招く。
第75章
「私を本当に知っている方」
成功者が求めているものの一つは、
「私を本当に知ってほしい」
という願いかもしれない。
評価ではなく理解。
拍手ではなく関係。
肩書きではなく存在そのものへの受容。
詩篇139篇は、神が人間を深く知っているという信仰を表現している。
ここに、孤独な成功者への大きな慰めがある。
第76章
愛されるために成功するのではない
この一文を覚えてほしい。
「愛されるために成功するのではない。」
むしろ、
「愛されていることを知っているから、自由に生きる。」
この違いは大きい。
前者では成功が愛の条件になる。
後者では成功が愛の結果ではなく、与えられた能力を用いる自由になる。
第77章
自分を証明する人生から、与える人生へ
「私は価値がある」
と証明するために働く人生は疲れる。
「私は誰かの役に立てる」
という方向に変わると、仕事の意味が変わる。
もちろん自己成長は大切である。
しかし人生が、
自己証明
から
奉仕
へ移ると、成功の意味も変わる。
第78章
人生の目的を五つの方向から考える
自分の人生を次の五つの方向から考えてみよう。
1. 神
私は神との関係をどう考えているか。
2. 自分
私はどのような人間になりたいか。
3. 家族
私は家族に何を与えたいか。
4. 社会
私は社会に何を貢献できるか。
5. 永遠
私の人生は死によって完全に終わるのか。それとも、その先に希望があるのか。
これらを考えると、キャリアだけでは見えなかった人生の全体像が見えてくる。
第79章
成功の新しい定義
本書では、成功を次のように再定義したい。
成功とは、人生のすべてを手に入れることではない。
成功とは、
与えられた人生を忠実に生きること。
愛する人を愛すること。
他者に仕えること。
自分の能力を責任をもって用いること。
失敗したときに立ち上がること。
赦しを受け、赦すこと。
神との関係を求めること。
そして、自分の人生が自分自身より大きな目的につながっていることを知ること。
第80章
最後の問い
最後に、一つの問いだけ残したい。
「もし誰もあなたを評価しなくなったとしても、あなたは今の人生を生きたいと思うだろうか。」
そしてもう一つ。
「もし神があなたに、『あなたの価値はあなたの業績ではない』と言われたら、あなたはそれを信じられるだろうか。」
ここから、新しい人生が始まる可能性がある。
第81章
イエスは成功者を拒まない
イエスは成功した人を敵として扱うわけではない。
富を持つ人。
知識を持つ人。
影響力を持つ人。
リーダー。
専門家。
経営者。
教育者。
こうした人々も神の国において重要な役割を持つことができる。
問題は、
「成功を持っているか」ではなく、「成功に支配されているか」
である。
第82章
成功をキリストに委ねる
あなたが成功しているなら、その成功を恥じる必要はない。
しかし、それを神に委ねることができる。
「神様、この能力をどう使えばよいでしょうか。」
「この財産をどう使えばよいでしょうか。」
「この影響力をどう使えばよいでしょうか。」
「この立場をどう使えばよいでしょうか。」
「この知識を誰のために使えばよいでしょうか。」
こうした祈りは、成功を奉仕へと変える。
第83章
成功の中で神を見失わない
人生で最も危険な瞬間は、
失敗した時だけではない。
成功した時でもある。
失敗すると神を求める人がいる。
しかし成功すると、
「私は一人でやった」
と思うことがある。
だから成功の中にも謙遜が必要である。
第84章
「私は自分でここまで来た」
確かに努力した。
しかし、考えてみよう。
誰があなたに命を与えたのか。
誰が時間を与えたのか。
誰が能力を与えたのか。
誰が他者との出会いを与えたのか。
誰が機会を与えたのか。
人間の努力は重要だが、
人生には、自分だけでは作れないものが多い。
この認識は感謝を生む。
第85章
感謝が成功を変える
感謝は、
「もっと欲しい」
という心を、
「すでに与えられているものを見る」
方向へ変える。
今日の命。
家族。
友人。
仕事。
健康。
知識。
経験。
信仰。
時間。
感謝は、心の視点を変える。
第86章
豊かさとは何か
豊かさは銀行口座だけでは測れない。
時間の豊かさ。
関係の豊かさ。
知識の豊かさ。
愛の豊かさ。
経験の豊かさ。
信仰の豊かさ。
奉仕の豊かさ。
そして心の平安。
このような豊かさを考えると、
「私は何を持っているか」
という問いが、
「私はどのように豊かに生きているか」
という問いに変わる。
第87章
人生を再設計する
もしあなたの人生が空しいなら、すべてを捨てる必要はない。
まず、
価値観を見直そう。
時間の使い方を見直そう。
人間関係を見直そう。
仕事の目的を見直そう。
お金の使い方を見直そう。
休息を見直そう。
信仰を見直そう。
そして、
「何を増やすか」
ではなく、
「何を減らすべきか」
も考えよう。
第88章
手放すべきもの
もしかすると、
過剰な承認欲求。
比較。
完璧主義。
過剰労働。
不必要な競争。
古い罪悪感。
赦せない怒り。
過去の失敗。
「もっと、もっと」という強迫感。
こうしたものを手放す必要があるかもしれない。
第89章
取り戻すべきもの
そして、
家族との時間。
友人との関係。
静かな時間。
祈り。
聖書。
自然。
睡眠。
笑い。
奉仕。
学び。
感謝。
これらを取り戻す。
人生の意味は、巨大な一つの決断だけで回復するとは限らない。
小さな習慣の積み重ねによって回復することもある。
第90章
一日の再設計
毎朝、次の五つを考えてみよう。
- 今日、神に感謝できることは何か。
- 今日、誰かを助けられることは何か。
- 今日、自分を大切にするために何ができるか。
- 今日、本当に重要な仕事は何か。
- 今日、何を手放すべきか。
これだけでも、一日の方向性は変わる。
第91章
一週間の再設計
一週間に一度、
仕事の成果だけでなく、
「私はどのような人間になったか」
を振り返ろう。
私は優しくなったか。
誠実になったか。
忍耐強くなったか。
謙遜になったか。
愛する人に時間を与えたか。
神との関係を深めたか。
他者に仕えたか。
第92章
一年の再設計
一年の終わりに、
「どれだけ稼いだか」
だけではなく、
「何を学んだか」
「誰を助けたか」
「誰を愛したか」
「何を赦したか」
「何を手放したか」
「神に近づいたか」
を考えよう。
これが人生をより深い尺度で評価する方法になる。
第93章
30日間の「成功と充足」リセット
第1週:気づく
自分が何を追い求めているか書く。
第2週:減らす
不必要な仕事、比較、SNS、過剰な予定を減らす。
第3週:関係を回復する
家族、友人、同僚との関係を大切にする。
第4週:目的を再構築する
「私は何のために生きるのか」を考える。
そして祈る。
「神様、私の人生をあなたの目的のために用いてください。」
第94章
成功者のための10の質問
- 私は何を証明しようとしているのか。
- 誰から認められたいのか。
- 何を失うことが一番怖いのか。
- 私の仕事は誰の役に立っているのか。
- 家族は私の成功をどう感じているだろうか。
- 私は本当に休めているか。
- 私には本音を話せる人がいるか。
- 私は自分の過去を赦せているか。
- 神は私の人生でどの位置にいるか。
- もし明日死ぬとしたら、私は今日の人生を肯定できるだろうか。
第95章
成功者のための短い祈り
「神様。
私は多くのことを達成してきました。
しかし、私の心の中には、まだ満たされない部分があります。
私は、成功が私の価値を決めると思っていたかもしれません。
人の評価を求めていたかもしれません。
仕事に自分の存在価値を置いていたかもしれません。
どうか私に、本当の価値を教えてください。
私の能力を、他者を助けるために使わせてください。
私の成功を、奉仕のために用いさせてください。
そして何よりも、
私がキリストにある神の愛と恵みを知ることができますように。
アーメン。」
第96章
もしあなたがキリストを求め始めたなら
あなたは特別な言葉を知らなくてもよい。
完璧な祈りをする必要もない。
教会についてすべて知る必要もない。
まず正直になればよい。
「イエス様、私はあなたを知りたい。」
それでよい。
聖書を読み始める。
祈る。
教会を訪ねる。
信頼できるクリスチャンと話す。
質問する。
疑問を持ってもよい。
信仰は、質問を禁止することではない。
真理を求める旅でもある。
第97章
「成功している私」を神に差し出す
神に差し出すべきなのは、
失敗した自分だけではない。
成功した自分も差し出してよい。
「神様、私の学歴を用いてください。」
「私の経験を用いてください。」
「私の会社を用いてください。」
「私の研究を用いてください。」
「私の財産を用いてください。」
「私の影響力を用いてください。」
「私の残りの人生を用いてください。」
これが成功を献げるということかもしれない。
第98章
成功の先にある使命
人生の後半で、
「もっと大きく」
ではなく、
「もっと深く」
という方向に進むことができる。
もっと深く愛する。
もっと深く学ぶ。
もっと深く仕える。
もっと深く祈る。
もっと深く人を育てる。
もっと深く神を知る。
これは、成功の終わりではない。
成功の成熟である。
第99章
あなたの人生はまだ完成していない
あなたが今、
「私はもう十分に生きた」
と感じていても、
人生にはまだ意味がある。
もし失敗したとしても、
次の章がある。
もし疲れていても、
休息の後に次の歩みがある。
もし成功しているのに空しいなら、
それは人生の終わりではない。
むしろ、
人生の深い部分へ進む招き
かもしれない。
第100章
最後に――成功より大きなもの
あなたは成功するために生まれたのではない。
成功だけのために生まれたのでもない。
あなたは、
愛するために。
学ぶために。
成長するために。
他者に仕えるために。
真理を求めるために。
神を知るために。
そして、与えられた人生を意味あるものとして生きるために存在している。
成功は人生の一部になり得る。
しかし、成功が人生の神になってはいけない。
最も重要な問いは、
「私はどれだけ成功したか」
ではない。
「私は誰を愛したか。」
「私は誰に仕えたか。」
「私は何のために生きたか。」
そして、
「私は神との関係をどう生きたか。」
である。
イエスは、
「疲れた人は私のところに来なさい」
と招いている(マタイ11:28)。
その招きは、失敗した人だけに向けられたものではない。
成功しているのに疲れている人にも向けられている。
笑顔の裏で空しさを抱えている人にも向けられている。
すべてを持っているように見えて、心の中では何かを探している人にも向けられている。
あなたは、もっと多くを獲得しなければ価値がないのではない。
あなたは、もっと高い場所に登らなければ神に近づけないのでもない。
キリスト教の福音は、
「あなたは恵みによって招かれている」
と語る。
だから、今日から別の人生を始めることができる。
成功を捨てる必要はない。
成功を正しい場所に置けばよい。
仕事を捨てる必要はない。
仕事に正しい目的を与えればよい。
能力を捨てる必要はない。
能力を奉仕のために使えばよい。
富を恐れる必要もない。
富を責任ある管理へと変えればよい。
そして何より、
自分自身を成功という尺度から解放し、神の恵みの中で自分の人生をもう一度見ることができる。
あなたの心が空しいなら、
それは必ずしもあなたが失敗したという意味ではない。
もしかすると、その空しさは、
「もっと深いものを探しなさい」
という心からの問いなのかもしれない。
そして、その問いの先に、
神がいる。
キリストがいる。
恵みがある。
赦しがある。
新しい目的がある。
そして希望がある。
付録A
成功と充足を考える30日間の旅
Day 1
「私は何を成功と呼んでいるか。」
Day 2
「誰から認められたいか。」
Day 3
「私は何を恐れているか。」
Day 4
「仕事は私に何を与えているか。」
Day 5
「仕事は私から何を奪っているか。」
Day 6
「家族との関係はどうか。」
Day 7
「私は本当に休んでいるか。」
Day 8
「私は何を比較しているか。」
Day 9
「SNSは私の心にどのような影響を与えているか。」
Day 10
「私は誰を愛しているか。」
Day 11
「私は誰を赦す必要があるか。」
Day 12
「私は誰に謝る必要があるか。」
Day 13
「私は何に感謝しているか。」
Day 14
「私の能力は誰の役に立つか。」
Day 15
「私は何を学びたいか。」
Day 16
「私は何を手放す必要があるか。」
Day 17
「私にとって神とは誰か。」
Day 18
「私は祈っているか。」
Day 19
「聖書を読んでいるか。」
Day 20
「私は神に何を求めているか。」
Day 21
「私は神に何を委ねられるか。」
Day 22
「私の成功は誰に利益を与えているか。」
Day 23
「私は誰を育てているか。」
Day 24
「私はどんな遺産を残したいか。」
Day 25
「もし仕事がなくなったら、私は誰か。」
Day 26
「もしお金がなくなったら、私は何を大切にするか。」
Day 27
「私は何のために生きているか。」
Day 28
「キリストにある希望とは何か。」
Day 29
「これから何を変えるか。」
Day 30
「神に私の人生を委ねるなら、何が変わるか。」
付録B
成功者のための人生再設計チェックリスト
私の仕事
□ 私の仕事には明確な目的がある
□ 私の仕事は他者に貢献している
□ 私は仕事と自分自身を区別できている
□ 私は休息を確保している
私の人間関係
□ 本音を話せる人がいる
□ 家族との時間を大切にしている
□ 友人との関係を維持している
□ 他者の話を聞いている
私の心
□ 自分の感情を認めている
□ 失敗を過度に恐れていない
□ 他人との比較を減らしている
□ 助けを求めることができる
私の信仰
□ 神について真剣に考えている
□ 祈る時間を持っている
□ 聖書を読んでいる
□ キリストの教えを学んでいる
□ 神の恵みを自分の人生に適用している
付録C
成功者への10の聖書的原則
- 人間の価値は業績だけでは決まらない。
(創世記1:26–27) - 神を愛することが人生の中心である。
(マタイ22:37) - 隣人を愛することが重要である。
(マタイ22:39) - 富に人生を支配させない。
(マタイ6:24) - 疲れたときにはイエスのもとへ行く。
(マタイ11:28) - 他者に仕える。
(マルコ10:43–45) - 赦しを受け、赦す。
(1ヨハネ1:9) - 過去だけで未来を定義しない。
(ピリピ3:13–14) - キリストにある新しい人生を生きる。
(2コリント5:17) - 復活の希望を持つ。
(1コリント15章)
付録D
成功しているのに心が空しい人への短いメッセージ
あなたは失敗者ではない。
あなたは弱い人でもない。
あなたが空しさを感じているからといって、これまでの努力が無意味だったわけでもない。
あなたはただ、
成功よりも深いものを求めているのかもしれない。
あなたの心は、
もっと大きな家ではなく、
もっと深い居場所を求めているのかもしれない。
もっと高い役職ではなく、
もっと深い意味を求めているのかもしれない。
もっと多くの人からの拍手ではなく、
本当にあなたを知る方との関係を求めているのかもしれない。
その方を、キリスト教は神と呼ぶ。
そして、その神がキリストを通してあなたを招いている。
終わりに
成功の先にある人生
いつの日か、あなたの名刺は必要なくなる。
肩書きも必要なくなる。
会社の役職も必要なくなる。
業績表も必要なくなる。
しかし、
あなたが愛したこと。
あなたが仕えたこと。
あなたが赦したこと。
あなたが育てた人。
あなたが与えた希望。
あなたが示した人格。
そして、神との関係。
これらは人生の深いところに残る。
だから、成功することを恐れなくてよい。
しかし、成功に自分の魂を売ってはいけない。
努力してよい。
しかし、努力によって自分の価値を証明し続けなくてよい。
成長してよい。
しかし、「もっと、もっと」があなたの主人になってはいけない。
富を持ってよい。
しかし、富にあなたの心を所有させてはいけない。
リーダーになってよい。
しかし、支配ではなく奉仕を選ぼう。
そして何より、
キリストの中に、自分の最終的な価値と希望を見いだそう。
成功は人生の一部である。
しかし、
人生そのものではない。
あなたの人生には、成功より大きな意味がある。
そして、その意味を求める旅は、
今日から始めることができる。
参考文献
References
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Wright, N. T. (2003). The resurrection of the Son of God. Fortress Press.
聖書参考箇所
Biblical References
創世記 1:1, 1:26–27
詩篇 23篇、34篇、42篇、46篇、139篇
箴言 3:5–6
イザヤ書 40:31
エレミヤ書 29:11
マタイ 6:19–24、11:28–30、22:37–39
マルコ 8:34–37、10:43–45
ルカ 12:13–21、15:11–32
ヨハネ 3:16、11:35、14:6
ローマ 3:23、5:3–5、5:8、6:4、8:38–39
1コリント 15:3–4、15:54–57
2コリント 5:17
エフェソ 2:8–9
ピリピ 3:13–14
1ヨハネ 1:9
黙示録 21:1–5、22:1–5
※本書の聖書箇所は、出版時に採用する日本語聖書翻訳に統一して引用・表記を確認することを推奨する。本文中には、読者への説明のために聖書内容を要約・意訳した箇所も含まれる。
著者から読者へ
あなたがこの本を読んでいるということは、おそらくあなたは人生について真剣に考えている人なのだと思います。
もしかすると、あなたはすでに多くのことを達成しているでしょう。
それでも心の中に、
「これだけではないはずだ」
という思いがあるかもしれません。
その思いを無視しないでください。
それは失敗の証拠ではないかもしれません。
むしろ、人生をより深く考えるための招きかもしれません。
あなたの成功が、あなたの人生を支配するのではなく、あなたの人生を通して他者に希望を与えるものとなりますように。
そして、あなたがキリストを求めるなら、そこに単なる宗教ではなく、
恵み、赦し、愛、目的、希望、そして神との新しい関係
を発見することができますように。
あなたの人生は、あなたの業績よりも大きい。
あなたの価値は、あなたの肩書きよりも深い。
そして、あなたの未来は、あなたの過去によって完全に決められているわけではない。
成功の先には、さらに深い人生がある。
その人生を、今日から歩み始めることができる。
― Prof. Dr. Lawrence M. F. Adams