Prof. Dr. Larry AdamsAcademic, Author & Researcher

SERIES IV — DEPRESSION, DESPAIR, LOSS AND HOPE

16. 生きることに疲れたあなたへ

心理学、喪失、絶望、信仰、そして希望

English Title

To the Person Who Is Tired of Living

Japanese Title

生きることに疲れたあなたへ

著者

Prof. Dr. Larry Adams

読者への大切なお願い

本書は、うつ状態、深い悲しみ、孤独、絶望、人生に疲れた感覚、死について考えてしまうこと、そしてそこからの回復と希望について扱います。

しかし、本書は診断や治療の代わりになるものではありません。

もしあなた自身が現在、

  • 自分を傷つけたいと思っている
  • 死にたい気持ちが強くなっている
  • 自分の安全を保つことが難しい
  • 具体的に自分を傷つけることを考えている
  • すでに自分を傷つけてしまった

という状態にあるなら、本書を一人で読み続けることよりも、今すぐ現実の人につながることが大切です。

信頼できる家族、友人、医師、心理職、精神保健専門家、地域の相談窓口、救急医療機関などに連絡してください。

日本では厚生労働省が、電話相談だけでなくLINE等のSNS相談を含む相談窓口を案内しています。厚生労働省の「相談先一覧」では、地域の公的相談窓口やSNS相談、その他の専門機関を検索できるようになっています。

WHOも、強い自殺念慮や自傷の考えは深刻な精神的苦痛のサインであり、信頼できる人、医療専門家、カウンセラー、ソーシャルワーカー等につながることを勧めています。差し迫った危険がある場合には、地域の救急サービスまたは危機支援につながることが推奨されています。

助けを求めることは弱さではありません。

それは、生きることを守るための行動です。

はじめに

この本は、あなたを裁くための本ではない

「生きることに疲れた」。

この言葉を口にするのは、簡単ではない。

多くの人は、疲れていても、

「大丈夫です」

と言う。

苦しくても、

「まだ頑張れます」

と言う。

泣きたくても、

「問題ありません」

と言う。

そして夜、一人になったとき、初めて本当の気持ちが出てくる。

「もう疲れた。」

「どうしてこんなに苦しいのだろう。」

「何のために生きているのだろう。」

「明日が来るのが怖い。」

「誰にも分かってもらえない。」

「消えてしまいたい。」

このような言葉を抱えている人に対して、本書は、

「もっと強くなりなさい」

とは言わない。

「信仰が足りない」

とも言わない。

「前向きになりなさい」

とも言わない。

むしろ、本書は最初にこう言いたい。

あなたが苦しんでいることには意味があります。

あなたの痛みを小さくする必要はありません。

しかし同時に、

あなたの現在の痛みが、あなたの未来のすべてを決定するわけでもありません。

心理学は、うつ病や絶望に対して有効な治療が存在することを示している。

精神医学は、必要に応じて薬物療法を含む治療があることを示している。

心理療法は、人間の思考、感情、行動、人間関係を変化させる可能性を示している。

社会的支援は、人を孤立から引き戻すことができる。

そしてキリスト教信仰は、絶望の中にいる人に対して、苦しみを否定するのではなく、神の臨在、恵み、愛、そして希望について語る。

だから本書では、

心理学と信仰を敵対させない。

心理学的支援を否定して祈りだけにすることもしない。

また、信仰を無視して心理学だけですべてを説明しようとすることもしない。

人間は身体であり、心であり、関係であり、意味を求める存在でもあるからである。

第1章

「生きることに疲れた」とは何を意味するのか

「生きることに疲れた」という言葉は、人によって意味が違う。

ある人にとっては、

「仕事に疲れた」

という意味かもしれない。

別の人にとっては、

「人間関係に疲れた」

という意味かもしれない。

また、

「何年も続く病気に疲れた」

「経済的問題に疲れた」

「失敗に疲れた」

「孤独に疲れた」

「自分自身に疲れた」

という意味かもしれない。

したがって、この言葉を聞いたとき、すぐに説教したり、解決策を押しつけたりするのではなく、

「何があなたをそこまで疲れさせているのですか」

と尋ねることが大切である。

人間の苦しみには文脈がある。

第2章

うつ病と「普通の悲しみ」は同じではない

誰でも悲しくなる。

失恋すれば悲しい。

仕事を失えば悲しい。

大切な人を失えば悲しい。

失敗すれば落ち込む。

これは人間として自然な反応である。

しかし、うつ病は単なる「気分の落ち込み」と同じではない。

WHOによれば、うつ病は一般的な精神疾患であり、抑うつ気分や興味・喜びの喪失が長期間続き、集中困難、強い罪悪感や自己評価の低下、将来への絶望、睡眠や食欲の変化、強い疲労などを伴うことがある。WHOはまた、うつ病には軽症・中等症・重症などの状態があり、有効な治療が存在すると説明している。

したがって、

「気合いで治しなさい」

という言葉は適切ではない。

病気を病気として理解することは、弱さではない。

第3章

心理学から見る絶望

心理学では、絶望は単純な悲しみとしてではなく、認知、感情、行動、環境、人間関係などが複雑に絡み合う状態として理解される。

Beckらの認知理論では、うつ状態において、

「自分についての否定的な見方」

「世界についての否定的な見方」

「未来についての否定的な見方」

が相互に関係することが論じられている(Beck, 1976)。

たとえば、

「私は何をやっても失敗する。」

「誰も私を必要としていない。」

「これからも何も変わらない。」

という考えが繰り返される。

重要なのは、こうした考えが本人にとって「単なる考え」ではなく、「現実そのもの」のように感じられることである。

だからこそ、心理療法ではその考えを否定するのではなく、一緒に検討する。

第4章

「私は役に立たない」という考え

うつ状態では、自分の価値を失ったように感じることがある。

「私は役に立たない。」

「私は家族の負担だ。」

「私は何もできない。」

「他の人の方が優れている。」

このような考えは非常に苦しい。

しかし、

「私は役に立たないと感じている」

ことと、

「私は本当に価値のない人間である」

ことは同じではない。

感情は重要である。

しかし、感情は常に事実そのものではない。

心理療法の一つの目的は、感情を否定することではなく、感情と事実を区別する能力を回復することにある。

第5章

絶望は未来を見えなくする

絶望の特徴の一つは、

「未来が存在しないように感じる」

ことである。

今の苦痛が強すぎると、

「明日も同じだ」

「来月も同じだ」

「何年後も同じだ」

と感じる。

しかし、人間の未来は現在の感情だけによって決まるわけではない。

治療によって状態が変わることがある。

環境が変わることがある。

人間関係が変わることがある。

仕事が変わることがある。

身体の状態が変わることがある。

新しい人との出会いがある。

新しい意味を発見することがある。

だから、

「今の私には未来が見えない」

ことと、

「未来が存在しない」

ことは同じではない。

第6章

孤独は「一人でいること」だけではない

孤独とは、単に周囲に人がいないことではない。

人に囲まれていても孤独になることがある。

家族がいても孤独になる。

学校にいても孤独になる。

職場にいても孤独になる。

教会にいても孤独になる。

SNSで何百人とつながっていても孤独になる。

孤独の核心は、

「自分の本当の状態を誰にも理解してもらえない」

という感覚にある場合がある。

だからこそ、回復には単なる人の数ではなく、

本当に話せる人

が必要である。

第7章

話すことには意味がある

「誰かに話しても何も変わらない。」

そう思う人もいる。

確かに、一度話しただけで問題が消えるとは限らない。

しかし、話すことには重要な意味がある。

苦しみを言葉にすると、

「自分の中だけに存在していた痛み」

が、

「誰かと共有された痛み」

になる。

WHOも、自殺について話すことが役に立つ場合があり、自殺について考えている人に直接話しかけることが、かえってその考えを引き起こすわけではないと説明している。

だから、

「あなたは今、生きることをやめたいと思っていますか?」

と穏やかに尋ねることを恐れてはいけない。

第8章

「助けを求めること」は敗北ではない

助けを求めることを恥ずかしく感じる人がいる。

特に、

責任感の強い人。

リーダー。

教師。

医師。

牧師。

経営者。

研究者。

親。

学生。

などは、

「自分が弱いと思われたくない」

と考えることがある。

しかし、精神的苦痛に対して専門的支援を求めることは、失敗ではない。

心の問題も身体の問題と同じように、適切な評価と支援を必要とすることがある。

第9章

専門家に相談するということ

専門家に相談するとは、

「自分では何もできない」

という意味ではない。

むしろ、

「私は自分の人生を大切にするために、必要な支援を受ける」

という意味である。

医師は身体的・精神医学的な状態を評価できる。

心理職は心理的な問題を扱うことができる。

カウンセラーは感情や生活上の問題を整理する支援ができる。

ソーシャルワーカーは社会資源との接続を支援できる。

牧師や信仰共同体は、霊的・人間関係的支援を提供できる場合がある。

しかし、それぞれの役割を混同してはいけない。

牧師は医師の代わりではない。

カウンセラーは救急医療の代わりではない。

祈りは、必要な医療を拒否する理由にはならない。

第10章

うつ病は「信仰が弱い」から起こるのか

これは非常に重要な問いである。

答えは、

うつ病を単純に信仰の弱さの結果と考えるべきではない

ということである。

聖書には、深い絶望を経験した人物が数多く登場する。

詩篇には苦悩の叫びがある。

エリヤは深い疲労と絶望を経験した。

ヨブは激しい喪失を経験した。

そしてイエスの弟子たちも恐怖と失望を経験した。

聖書は、人間の苦しみを隠していない。

したがって、キリスト教的支援は、

「信仰があるなら落ち込まない」

という単純な考えではない。

むしろ、

信仰がある人も苦しむ。そして苦しみの中でも神に助けを求めることができる。

という理解が重要である。

第11章

エリヤ――疲れ果てた預言者

列王記上19章には、預言者エリヤの物語が記されている。

エリヤは大きな使命を経験した後、恐れ、逃げ、疲れ、孤独を経験する。

ここで興味深いのは、神が最初にエリヤへ長い説教をしたわけではないことである。

エリヤは眠る。

そして食べる。

その後、再び眠る。

この物語は、身体的疲労と精神的苦痛の関係を考えるうえで重要である。

もちろん、聖書の物語を現代医学の診断にそのまま置き換えることはできない。

しかし、

疲れた人間には休息と養いが必要である

という大切な洞察を与えている。

第12章

ヨブ――説明できない苦しみ

ヨブ記では、一人の人間が巨大な喪失を経験する。

ヨブの友人たちは、彼の苦しみに説明を与えようとする。

しかし、その説明は必ずしもヨブの痛みに寄り添うものではない。

ここには重要な教訓がある。

苦しんでいる人に対して、

「あなたが悪いからだ」

「信仰が足りないからだ」

「もっと前向きになりなさい」

と簡単に説明することは危険である。

時には、

一緒に座ること

の方が、答えを与えることより大切である。

第13章

喪失は人間を変える

人は人生の中で多くのものを失う。

愛する人。

結婚。

仕事。

健康。

財産。

社会的地位。

夢。

若さ。

身体能力。

故郷。

友情。

将来の計画。

喪失は、単に「何かがなくなること」ではない。

喪失とは、

自分が思い描いていた未来が壊れること

でもある。

そのため、悲嘆には時間が必要である。

第14章

悲しむことを急がせない

現代社会は、悲しみさえも早く終わらせようとする。

「もう元気になった?」

「そろそろ前を向こう。」

「時間が解決するよ。」

しかし、悲嘆には個人差がある。

悲しみ方に「正しい速度」はない。

ある人は数か月で回復する。

別の人は何年も悲しみを抱える。

悲しみが長いからといって、愛が弱いわけではない。

むしろ、深く愛したからこそ、深く悲しむことがある。

第15章

「忘れること」と「前に進むこと」は違う

大切な人を失った後、

「忘れなければ前に進めない」

と思う人がいる。

しかし、回復とは必ずしも忘れることではない。

人は亡くなった人との記憶を持ちながら生きることができる。

悲しみを消すのではなく、

悲しみとともに生きられるようになる

という回復の形もある。

第16章

Viktor Franklと「意味」

Viktor Franklは、極限的な苦難の中でも、人間が意味を求める存在であることを論じた(Frankl, 1959/2006)。

ただし、Franklの考えを誤って使ってはいけない。

「苦しみには必ず良い意味がある」

と強制することは、苦しんでいる人を傷つける場合がある。

本当に大切なのは、

苦しみそのものを美化することではなく、苦しみの中でも人間が意味を再発見する可能性がある

ということである。

第17章

心理学と「希望」

希望は単なる楽観主義ではない。

「きっと全部うまくいく」

という考えだけが希望ではない。

Snyder(2002)の希望理論では、希望は目標、そこへ向かう道筋、そしてその道を進もうとする動機づけに関連している。

つまり、

「未来が必ず完璧になる」

ということではない。

むしろ、

「今の場所から次の一歩を探すことができる」

という感覚である。

うつ状態の人に必要なのは、大きな未来像よりも、

次の一歩

である場合がある。

第18章

今日だけを生きる

「一生、生きなければならない」

と考えると、あまりにも重いことがある。

だから、時には一日を一日にする。

そして、一日が重ければ、一時間を一時間にする。

さらに重ければ、

次の10分

を考える。

水を飲む。

誰かに連絡する。

ベッドから出る。

窓を開ける。

医師に電話する。

家族のところへ行く。

これらは小さな行動に見える。

しかし危機の中では、小さな一歩が重要である。

第19章

「今夜を一人で越えない」

深い危機にあるとき、一人で問題を解決しようとする必要はない。

信頼できる人に、

「今、かなり苦しい」

と伝える。

「一人になりたくない」

と伝える。

「一緒にいてほしい」

と伝える。

「病院に付き添ってほしい」

と伝える。

これは勇気である。

WHOは、差し迫った自傷・自殺の危険がある場合には、その人を一人にせず、緊急サービス、危機支援、医療専門家、家族などにつなげることを勧めている。

第20章

日本の自殺対策から学ぶこと

日本では自殺対策が国の重要な公衆衛生課題として位置づけられている。

厚生労働省の2025年版自殺対策白書は、2024年の自殺の状況だけでなく、若者の自殺、大学生、就業している若者、失業している若者、電話・SNS等による相談支援を独立した章で扱っている。

2024年の日本の自殺者数は20,320人で、前年から1,517人減少し、統計開始以降2番目に少ない数となった。一方、小学生・中学生・高校生の自殺者数は529人で、1980年以降の統計で最多となった。

ここから重要なことが分かる。

社会全体の数字が改善していても、

すべての人が同じように改善しているとは限らない。

特に若者については、継続的な支援が必要である。

第21章

若者の苦しみを「甘え」と呼ばない

若者が苦しんでいるとき、

「昔はもっと大変だった」

と言う大人がいる。

しかし、苦しみは世代間競争ではない。

若者には若者の問題がある。

学校。

受験。

進学。

就職。

SNS。

人間関係。

家族。

経済的不安。

将来への不安。

自己評価。

孤独。

厚生労働省の2025年版白書は、2020年以降、15~29歳の若者の自殺者数が3,000人を超える状態が続いていることを示している。

したがって、

若者の苦しみを真剣に聞く社会

が必要である。

第22章

学生の「失敗」と人生の価値

学生にとって、

「試験に落ちる」

「単位を落とす」

「大学院に入れない」

「就職できない」

「研究が進まない」

という出来事は、人生全体の失敗のように感じられることがある。

しかし、一つの結果と人間の価値は同じではない。

厚生労働省の2025年版白書では、大学生等について、男性では学業や進路に関する問題が重要な背景として記録されている一方、女性では健康上の問題なども重要な背景として示されている。白書はまた、自殺には複数の要因が複雑に関係すると注意している。

だから学生には、

「成績はあなたの価値ではない」

と伝える必要がある。

第23章

仕事を失った人へ

仕事を失うことは、収入だけを失うことではない。

それは、

「私は何者なのか」

というアイデンティティにも影響する。

毎朝行く場所がなくなる。

同僚との関係がなくなる。

社会的役割が変わる。

自己評価が低下する。

しかし、

失業は人生の終了ではない。

それは人生の一つの章が終わったということにすぎない。

次の章がまだ見えていないだけかもしれない。

第24章

失敗した人へ

失敗は痛い。

失敗を美化する必要はない。

失敗したら悲しい。

恥ずかしい。

悔しい。

怖い。

それは自然である。

しかし、失敗した人と「失敗そのもの」は同じではない。

あなたは失敗したかもしれない。

しかし、

あなた自身が失敗そのものになったわけではない。

第25章

完璧主義と絶望

完璧主義は、成果を高めることもある。

しかし、自己価値が完全な成果と結びつくと危険になる。

「100点でなければ意味がない。」

「失敗したら私は価値がない。」

「他人より優れていなければならない。」

このような思考は、人間を慢性的な自己評価の危機へ導く可能性がある。

人間は不完全である。

失敗する。

間違える。

遅れる。

忘れる。

弱くなる。

そして、それでも価値がある。

第26章

「比較」が心を壊すとき

SNSは他人の人生の「完成した部分」だけを見せる。

誰かの成功。

誰かの旅行。

誰かの結婚。

誰かの昇進。

誰かの博士号。

誰かの家。

誰かの車。

誰かの幸せ。

しかし、人は通常、自分の人生の舞台裏と他人の人生の舞台表を比較する。

それは公平な比較ではない。

だから、

他人の投稿を自分の価値の尺度にしてはいけない。

第27章

「あなたがいなくなれば皆が楽になる」という考え

深い絶望の中では、

「自分がいない方が家族のためになる」

と考えることがある。

しかし、これは絶望によって生み出される認知であり、客観的な事実として扱ってはいけない。

WHOは、「自分がいなくなった方が他人のためになる」といった考えを、自殺リスクに関連する警告サインの一つとして挙げている。

だから、このような考えが出てきたら、

一人で判断しないこと

が重要である。

その考えを信頼できる人と共有する。

専門家に伝える。

安全を確保する。

そして、今の危機を一緒に越える。

第28章

「死にたい」という言葉を聞いたら

誰かが、

「死にたい」

と言ったとする。

最も重要なのは、すぐに説教することではない。

「そんなこと言うな。」

「親が悲しむ。」

「神様が悲しむ。」

「人生は素晴らしい。」

と言いたくなるかもしれない。

しかし、最初は、

「話してくれてありがとう。」

「今、どれくらい苦しい?」

「一人で抱えなくていい。」

「一緒に助けを探そう。」

と伝える方がよい。

その人を一人にせず、必要な専門的支援へつなげることが重要である。

第29章

ゲートキーパーになる

すべての人が心理療法士になる必要はない。

しかし、誰もが「気づく人」になることはできる。

表情の変化。

社会的 withdrawal。

突然の孤立。

「もう意味がない」という言葉。

極端な絶望。

別れを思わせる発言。

こうした変化を無視しない。

そして、

「大丈夫?」

ではなく、

「最近、とても苦しそうに見える。話したいなら、私は聞くよ。」

と伝える。

第30章

教会は安全な場所であるべきか

教会は、苦しんでいる人が、

「ここでは正直に話してもいい」

と思える場所である必要がある。

しかし、

「クリスチャンなら落ち込んではいけない」

という文化が存在すると、人は苦しみを隠す。

教会は、

「もっと信じなさい」

だけではなく、

「一緒に病院へ行こう」

と言える場所でなければならない。

「一緒にカウンセリングを受けよう」

と言える場所でなければならない。

「今夜は一人にしない」

と言える場所でなければならない。

信仰共同体は、医療を否定する場所ではなく、必要な支援へつなぐ橋になることができる。

第31章

祈りは治療の敵ではない

キリスト教において祈りは重要である。

しかし、

祈ることと治療を受けることは両立する。

糖尿病の人が祈りながら医師に相談するのと同じように、うつ状態の人も祈りながら医師や心理職に相談できる。

薬を服用することと祈ることも両立できる。

心理療法を受けることと聖書を読むことも両立できる。

家族に助けを求めることと神を信頼することも両立できる。

神への信仰は、専門的支援を拒否する理由である必要はない。

第32章

神はあなたの痛みを軽視しない

キリスト教の希望は、

「痛くないふりをすること」

ではない。

十字架そのものが、苦しみを否定する宗教ではないことを示している。

キリスト教の中心には、

苦しみ。

喪失。

孤独。

拒絶。

死。

そして復活。

という物語がある。

だから、苦しんでいる人に、

「あなたが悲しむのは信仰が弱いから」

と言う必要はない。

イエス自身が涙を流した。

ヨハネ11章35節には、

「イエスは涙を流された」

と記されている。

これは、神が人間の涙を軽蔑していないことを示す強い象徴である。

第33章

詩篇の「なぜ」

詩篇には、

「なぜ」

という問いが何度も現れる。

「主よ、なぜですか。」

「いつまでですか。」

「なぜ私を見捨てたように感じるのですか。」

聖書は、苦しみの中で神に問いかけることを禁止していない。

だから、

「神様、私はもう疲れました。」

と祈ってもよい。

「神様、私は分かりません。」

と言ってもよい。

「神様、助けてください。」

と言ってよい。

祈りとは、常に美しい言葉を使うことではない。

時には、

泣きながら本当のことを言うこと

でもある。

第34章

希望は「すぐ元気になること」ではない

希望を誤解してはいけない。

希望とは、

「明日には全部治る」

という約束ではない。

希望とは、

「助けを求めながら、もう一日を生きることができる」

という可能性である。

時には、

一歩。

一時間。

一日。

一回の診察。

一回のカウンセリング。

一回の会話。

それだけでよい。

第35章

回復は直線ではない

回復には、

良い日。

悪い日。

普通の日。

がある。

昨日は元気だったのに、今日は苦しい。

それは回復が失敗したという意味ではない。

心理的回復は、しばしば直線ではない。

だから、悪い日が来ても、

「全部元に戻った」

と考えなくてよい。

今日が悪い日なら、

今日を今日として扱う。

第36章

身体を無視しない

精神的苦痛と身体は分離していない。

睡眠。

食事。

運動。

慢性的な痛み。

ホルモン。

薬物。

アルコールや薬物使用。

身体疾患。

これらは心の状態と関係する可能性がある。

したがって、深い抑うつ状態がある場合は、医療専門家による適切な評価が重要である。

WHOも、うつ病は睡眠、食欲、エネルギー、集中力など身体的・心理的機能の多くに影響し得ると説明している。

第37章

小さな生活リズムを取り戻す

回復の初期には、大きな目標を立てる必要はない。

朝起きる。

カーテンを開ける。

水を飲む。

食事をする。

シャワーを浴びる。

少し歩く。

薬を指示通りに服用する。

診察に行く。

誰かと話す。

夜に眠る。

こうした基本的な生活行動が重要になる。

「人生を完全に立て直す」のではなく、

今日の生活を少し整える。

それでよい。

第38章

「あなたの物語はまだ終わっていない」

絶望は、人間に、

「物語はここで終わる」

と思わせる。

しかし、人間は自分の物語のすべての章をまだ知らない。

今の章が悲しいからといって、最後の章まで悲しいとは限らない。

今の章が暗いからといって、未来のすべてが暗いとは限らない。

あなたがまだ知らない人がいるかもしれない。

まだ行ったことのない場所があるかもしれない。

まだ経験していない愛があるかもしれない。

まだ学んでいないことがあるかもしれない。

まだ果たしていない使命があるかもしれない。

だから、

物語の結論を、最も苦しい日に決めないでほしい。

第39章

神の恵みと「成果を出せない自分」

現代社会では、

「何かを成し遂げなければ価値がない」

という考えが強い。

しかし、キリスト教の恵みは、逆方向を示す。

恵みとは、

価値を獲得するために成果を出すのではなく、まず愛されていることを受け取る

という概念である。

これは、うつ状態の人にとって重要なメッセージになり得る。

今日は何もできなくてもよい。

今日はベッドから出るだけだったとしてもよい。

今日は一人に連絡するだけだったとしてもよい。

神の前でのあなたの価値は、その日の生産性によって増減するものではない。

第40章

十字架と希望

キリスト教の希望は、苦しみを否定しない。

十字架は、神が人間の苦しみから遠く離れているという考えを否定する。

キリスト教の物語では、神は苦しみを外側から眺めるだけではない。

キリストは苦しみの中へ入る。

拒絶される。

傷つけられる。

孤独を経験する。

そして死を通過する。

しかし、物語は墓で終わらない。

復活という希望へ向かう。

したがって、キリスト教的希望とは、

「苦しみは存在しない」

ということではない。

それは、

「苦しみが最後の言葉ではない」

という信仰である。

第41章

「あなたは一人ではない」

この本の最も重要な言葉の一つは、

あなたは一人ではない。

である。

今そう感じなくてもよい。

あなたの心が、

「誰も理解してくれない」

と言っているかもしれない。

しかし、人間は助けを受けることができる。

医師。

心理職。

家族。

友人。

教師。

牧師。

ソーシャルワーカー。

地域支援。

相談窓口。

そして、必要な場合には救急医療。

助けは一つの形だけではない。

第42章

助けを求めるための具体的な言葉

助けを求めるのが難しい場合、次のような言葉を使ってよい。

「今、かなり苦しいです。」

「最近、生きることに疲れています。」

「一人で抱えるのが難しくなっています。」

「死について考えることがあります。」

「自分を傷つけない自信がありません。」

「専門家に相談したいです。」

「病院に一緒に行ってもらえませんか。」

「今夜、一人でいたくありません。」

これらは弱い言葉ではない。

助けを求めるための勇気ある言葉である。

第43章

家族は何ができるのか

家族ができる最も重要なことの一つは、

話を聞くこと

である。

すぐに解決しようとしなくてもよい。

説教しなくてもよい。

比較しなくてもよい。

「もっと大変な人がいる」と言わなくてもよい。

ただ、

「あなたの話を聞く」

と言う。

そして、危険があると感じる場合には、一人にせず、専門的支援へつなげる。

WHOも、危険がある場合には本人を一人にせず、医療専門家や緊急支援などにつなぐことを勧めている。

第44章

教師と大学の責任

大学生や大学院生は、

学業。

研究。

経済。

就職。

人間関係。

家族。

将来。

など複数のストレスを抱えることがある。

大学は単に成績を評価する場所ではない。

学生の安全とウェルビーイングも重要である。

教師は、

「成績が悪い学生」

を見るだけではなく、

「苦しんでいる人間」

を見る必要がある。

そして、教師が診断を行うのではなく、必要な場合には大学のカウンセリングサービス、医療機関、専門家などへつなぐことが重要である。

第45章

職場の責任

職場でも同じである。

「仕事ができない人」

というラベルを貼る前に、

「何が起きているのか」

を見る必要がある。

長時間労働。

ハラスメント。

孤立。

過重な責任。

不公平。

雇用不安。

経済的ストレス。

これらが精神的健康に影響する可能性がある。

したがって、メンタルヘルス対策は個人に「強くなれ」と要求するだけでは不十分である。

組織そのものを改善する必要がある。

第46章

スティグマを壊す

「精神科に行くのは恥ずかしい。」

「カウンセリングを受けるのは弱い人だ。」

「うつ病だと知られたらキャリアが終わる。」

こうしたスティグマは、支援へのアクセスを妨げる可能性がある。

WHOは、精神疾患に対する社会的スティグマが治療への障壁の一つになると指摘している。

したがって、

治療を受ける人を尊敬する文化

を作る必要がある。

第47章

希望を押しつけない

希望は重要である。

しかし、希望を押しつけてはいけない。

「神様を信じれば全部大丈夫。」

「絶対に良くなる。」

「前向きに考えなさい。」

これらは善意から出た言葉でも、深い苦しみの中にいる人には負担になる場合がある。

より良い言葉は、

「今はとても苦しいんだね。」

「一緒に助けを探そう。」

「あなたを一人にしない。」

「治療を受けることを一緒に考えよう。」

である。

希望とは、現実を否定することではない。

現実を認めたうえで、次の可能性を一緒に探すこと

である。

第48章

30日間の「希望への小さな一歩」

1日目

信頼できる人を一人決める。

2日目

その人に連絡する。

3日目

睡眠時間を記録する。

4日目

食事を一回でも整える。

5日目

短い散歩をする。

6日目

スマートフォンから少し離れる。

7日目

一週間を振り返る。

8日目

医師または心理職について調べる。

9日目

予約を検討する。

10日目

自分の感情を紙に書く。

11日目

「今、一番つらいこと」を一つ書く。

12日目

「今、助けになっていること」を一つ書く。

13日目

誰かに感謝を伝える。

14日目

休息する。

15日目

自然の中で時間を過ごす。

16日目

自分を責める言葉を一つ減らす。

17日目

「私は失敗した」と「私は失敗そのものではない」を区別する。

18日目

聖書の詩篇を一篇読む。

19日目

祈りの中で本当の気持ちを話す。

20日目

誰かと食事する。

21日目

専門家との相談を継続する。

22日目

小さな目標を一つ設定する。

23日目

仕事・学校と休息の境界を作る。

24日目

SNSの使用時間を見直す。

25日目

「私が大切にしたいもの」を3つ書く。

26日目

未来について一つだけ現実的な希望を書く。

27日目

過去の自分に優しい言葉をかける。

28日目

信仰共同体または信頼できる共同体とつながる。

29日目

ここまでの歩みを振り返る。

30日目

「これから誰に助けを求めるか」を確認する。

この30日間は治療プログラムではない。

これは、孤立からつながりへ向かう小さな道筋である。

第49章

あなたの価値は今日の気分では決まらない

今日、自分に価値がないと感じても、

あなたの価値が消えたわけではない。

今日、何もできなくても、

あなたの価値が消えたわけではない。

今日、泣いていても、

あなたの価値が消えたわけではない。

今日、失敗しても、

あなたの価値が消えたわけではない。

今日、助けを必要としても、

あなたの価値が消えたわけではない。

あなたは、成果より大きな存在である。

第50章

生きることに疲れたあなたへ

もしあなたが今、本当に疲れているなら、

無理に強がらなくてよい。

泣いてよい。

助けを求めてよい。

医師に相談してよい。

カウンセリングを受けてよい。

薬が必要なら治療を受けてよい。

家族に頼ってよい。

友人に頼ってよい。

教会に助けを求めてもよい。

そして、

一人で全部解決しなくてよい。

人生を一日ずつ生きてよい。

未来を全部理解する必要はない。

今日を越えることから始めてよい。

終章

希望は、暗闇の中でも存在する

希望とは、

暗闇がないことではない。

希望とは、

暗闇の中でも、光が完全に消えたわけではないと信じること

である。

キリスト教の希望は、痛みを否定しない。

涙を否定しない。

悲嘆を否定しない。

病気を否定しない。

治療を否定しない。

むしろ、それらすべてを認めた上で、

神の愛は、人間の最も暗い瞬間にも届く

と語る。

詩篇23篇の「死の陰の谷を歩む」というイメージは、人間が谷を通ることがあることを認めている。

重要なのは、

「谷を歩かない」

という約束ではない。

「谷を歩くときも、私は一人ではない」

という希望である。

キリスト教的希望について

キリスト教において希望は、単なる気分ではない。

希望は神の性質、神の約束、キリストの復活、そして将来への信頼と結びついている。

ローマ人への手紙5章では、苦難、忍耐、練達、希望という流れが語られる。

しかし、ここでも注意が必要である。

これは、

「苦しめば苦しむほど良い」

という意味ではない。

苦しみを美化するための言葉ではない。

むしろ、

苦しみの中でも、神が人間を見捨てない

という信仰として理解すべきである。

イエスの招き

マタイ11章28節で、イエスは疲れた者、重荷を負う者を招いている。

この招きは、

「もっと頑張れ」

ではない。

「もっと成功しろ」

でもない。

「自分で全部解決しろ」

でもない。

「わたしのもとに来なさい。」

という招きである。

だから、本当に疲れたときには、

祈りを一つだけでもよい。

「主よ、助けてください。」

それだけでもよい。

言葉が出なければ、泣いてもよい。

沈黙してもよい。

誰かに助けを求めてもよい。

神を信頼することと、人間の助けを受けることは両立する。

最後の手紙

生きることに疲れたあなたへ

あなたへ。

あなたが今どこにいるのか、私は知らない。

あなたが部屋の中にいるのか。

病院にいるのか。

学校にいるのか。

職場にいるのか。

電車の中にいるのか。

教会にいるのか。

家族の隣にいるのか。

一人なのか。

私はあなたの具体的な状況を知らない。

しかし、一つだけ伝えたい。

あなたの現在の苦しみだけで、あなたの人生全体を判断しないでください。

今日が最悪の日だったとしても、

それは人生全体が最悪だという意味ではありません。

今日、希望が見えなくても、

希望が存在しないという意味ではありません。

今日、自分を愛せなくても、

あなたが愛される価値を失ったわけではありません。

今日、何もできなくても、

あなたの人生に価値がないわけではありません。

助けを求めてください。

誰かに話してください。

専門家につながってください。

必要なら病院へ行ってください。

一人にならないでください。

そして、信仰を持つ人なら、

神に、

「主よ、私は疲れました」

と言ってください。

それでいいのです。

あなたは、神の前で立派な文章を作る必要はありません。

完璧な祈りも必要ありません。

完璧な信仰も必要ありません。

ただ、

「助けてください」

と言えばよい。

そして、その祈りを、

医師につながる一歩にしてもよい。

カウンセラーにつながる一歩にしてもよい。

家族に電話する一歩にしてもよい。

友人に会う一歩にしてもよい。

今日を生きる一歩にしてもよい。

あなたの物語は、まだ終わっていません。

そして、

あなたは一人ではありません。

— Prof. Dr. Larry Adams

著者からのメッセージ

Prof. Dr. Larry Adams

本書を書くにあたり、私は「希望」という言葉を軽く扱わないことを意識しました。

深い絶望の中にいる人に、

「希望を持ちなさい」

と言うだけでは十分ではありません。

必要なのは、その人の隣に座ることです。

話を聞くことです。

必要な専門家につなぐことです。

安全を確保することです。

そして、その人が自分の人生をもう一度見ることができるまで、一緒に歩くことです。

私は、心理学的支援とキリスト教信仰は対立する必要がないと考えています。

科学的に確立された治療を受けることは信仰の否定ではありません。

カウンセリングを受けることは信仰の敗北ではありません。

薬物療法を受けることは祈りの否定ではありません。

専門家に助けを求めることは、神への信頼の欠如ではありません。

人間は身体と心を持つ存在であり、同時に関係と意味を求める存在でもあります。

だからこそ、回復には多面的な支援が必要です。

そして、キリスト教的希望の中心には、

「あなたが十分に強くなったら神があなたを愛する」

というメッセージではなく、

「あなたが弱いときにも神の愛は失われない」

という恵みがあります。

生きることに疲れたあなたへ。

あなたは、成果ではありません。

あなたは、成績ではありません。

あなたは、肩書ではありません。

あなたは、失敗ではありません。

あなたは、病気そのものではありません。

あなたは、今日の感情そのものでもありません。

あなたは、一人の人間です。

尊厳を持った人間です。

愛される価値を持った人間です。

そして、助けを受ける価値のある人間です。

生きることに疲れたなら、今日すべてを解決しなくてよい。

今日の一歩だけでよい。

誰かにつながる一歩。

助けを求める一歩。

専門家に相談する一歩。

祈る一歩。

そして、もう一日生きる一歩。

それで十分です。

読者のための「希望の10の言葉」

1.

私は一人で全部解決しなくてよい。

2.

助けを求めることは弱さではない。

3.

今の感情は、私の未来そのものではない。

4.

私は失敗しても、失敗そのものではない。

5.

私の価値は生産性によって決まらない。

6.

治療を受けてもよい。

7.

泣いてもよい。

8.

今日を今日として生きてもよい。

9.

信仰と専門的支援は両立する。

10.

私の物語はまだ終わっていない。

参考文献

References

American Psychiatric Association. (2022). Diagnostic and statistical manual of mental disorders (5th ed., text rev.; DSM-5-TR). American Psychiatric Association Publishing.

Beck, A. T. (1976). Cognitive therapy and the emotional disorders. International Universities Press.

Beck, A. T., Rush, A. J., Shaw, B. F., & Emery, G. (1979). Cognitive therapy of depression. Guilford Press.

Bonanno, G. A. (2004). Loss, trauma, and human resilience: Have we underestimated the human capacity to thrive after extremely aversive events? American Psychologist, 59(1), 20–28.

Bowlby, J. (1980). Attachment and loss: Vol. 3. Loss: Sadness and depression. Basic Books.

Frankl, V. E. (2006). Man's search for meaning. Beacon Press. (Original work published 1946/1959 depending on edition and translation.)

Joiner, T. (2005). Why people die by suicide. Harvard University Press.

Neimeyer, R. A. (2001). Meaning reconstruction & the experience of loss. American Psychological Association.

Pargament, K. I. (1997). The psychology of religion and coping: Theory, research, practice. Guilford Press.

Seligman, M. E. P. (2011). Flourish: A visionary new understanding of happiness and well-being. Free Press.

Snyder, C. R. (2002). Hope theory: Rainbows in the mind. Psychological Inquiry, 13(4), 249–275.

World Health Organization. (2026). Depressive disorder (depression). World Health Organization.

World Health Organization. (2026). Suicide. World Health Organization.

厚生労働省. (2006). 自殺対策基本法. Ministry of Health, Labour and Welfare, Japan.

厚生労働省. (2025a). 令和7年版自殺対策白書. Ministry of Health, Labour and Welfare, Japan.

厚生労働省. (2025b). 令和7年版自殺対策白書概要. Ministry of Health, Labour and Welfare, Japan.

厚生労働省. (2025c). 相談先一覧――悩みを抱えている方へ. Ministry of Health, Labour and Welfare, Japan.

日本の公的支援情報

厚生労働省は、悩みを抱えている人向けに、電話相談、SNS相談、地域別の相談窓口、その他の専門機関を案内している。また、「まもろうよ こころ」という支援情報サイトを運営し、相談窓口やゲートキーパー等の情報を提供している。

本書を読んでいる本人、あるいは身近な人が現在危険な状態にある場合、本を読み終えることを優先せず、現実の人間と専門的支援につながることを優先してください。

緊急の場合は、地域の救急サービス、救急医療機関、危機支援窓口などに連絡してください。WHOも、差し迫った危険がある場合には緊急サービスや危機支援、医療専門家につながるよう勧めています。

聖書参考箇所

創世記 1–2章
詩篇 23篇
詩篇 34篇
詩篇 42篇
詩篇 43篇
詩篇 46篇
詩篇 55篇
詩篇 88篇
イザヤ書 41:10
哀歌 3:21–24
列王記上 19章
マタイ 11:28–30
ヨハネ 11:35
ヨハネ 14:1–3
ローマ 5:1–5
ローマ 8:38–39
2コリント 1:3–4
2コリント 4:7–9
ピリピ 4:6–7
ヘブル 4:14–16
黙示録 21:4

心理学的立場

Psychological Position of the Book

本書は、以下の心理学的立場を統合している。

1. 認知行動的視点

抑うつ状態では、自己・世界・未来についての否定的な認知が相互に関係する可能性がある(Beck, 1976; Beck et al., 1979)。

2. 希望理論

希望を、単なる楽観主義ではなく、目標、目標へ向かう経路、行動への動機づけとして理解する(Snyder, 2002)。

3. 悲嘆・喪失研究

喪失後の反応には個人差があり、回復は必ずしも「忘れること」ではなく、喪失を自分の人生の物語の中に再構成する過程として理解できる(Bowlby, 1980; Neimeyer, 2001)。

4. レジリエンス

深刻な逆境を経験した人間にも、回復・適応・成長の可能性が存在する。ただし、レジリエンスを「一人で耐える力」と誤解してはならず、社会的支援も重要である(Bonanno, 2004)。

5. 宗教的コーピング

宗教・信仰は、意味づけ、共同体、希望、祈り、支援などを通して、苦難への対処に関係する場合がある。しかし、宗教的対処には肯定的な側面だけでなく、罪悪感や自己非難を強める場合もあるため、慎重に扱う必要がある(Pargament, 1997)。

6. キリスト教的希望

本書では、キリスト教的希望を「苦しみが存在しない」という意味ではなく、「苦しみの中でも神の愛と臨在を信頼し、未来への可能性を失わない」という意味で扱う。

したがって、本書の基本的立場は、

心理学か信仰か

ではなく、

心理学的支援と医療的支援を尊重しながら、キリスト教信仰が提供する意味、共同体、祈り、恵み、希望を対話させる

という統合的立場である。

著者紹介

Prof. Dr. Larry Adams

Prof. Dr. Larry Adams is an academic, professor, doctoral educator, researcher, and higher-education leader with professional interests spanning doctoral education, leadership, business, research, organizational life, human development, education, and the relationship between professional achievement and human well-being.

本書では、うつ病、絶望、喪失、孤独、自殺予防、心理的支援、レジリエンス、意味、信仰、そして希望を、人間の尊厳という中心テーマから考察している。

本書の立場は、精神的苦痛を単純化せず、専門的治療の重要性を認めながら、キリスト教的希望を「現実から逃避するための言葉」ではなく、苦しみの中にいる人とともに歩むための希望として提示するものである。

SERIES IV

DEPRESSION, DESPAIR, LOSS AND HOPE

16. 生きることに疲れたあなたへ

To the Person Who Is Tired of Living

17. 次の章はまだ書かれていない

The Next Chapter Has Not Yet Been Written

18. 失った後に

After Loss

19. 孤独の中にいるあなたへ

To the Person Who Feels Alone

20. 希望を失ったとき

When Hope Seems Gone

最後の一言

もし今日、あなたがこの本のタイトル、

「生きることに疲れたあなたへ」

という言葉に自分自身を重ねているなら、どうか覚えていてください。

あなたの痛みを否定する必要はありません。

しかし、その痛みだけで人生の結論を出す必要もありません。

助けを求めてください。

誰かにつながってください。

専門家に相談してください。

必要なら、今すぐ安全な場所へ移ってください。

そして、信仰を持つなら、

神の前でそのままの自分でいてください。

あなたは完璧でなくてよい。

強くなくてよい。

今日すべてを理解しなくてよい。

今日すべてを解決しなくてよい。

ただ、

次の一歩を。

そして、その次の一歩を。

希望とは、遠くにある大きな光だけではない。

時には、

「今夜を一人で越えない」

という小さな光である。

そして時には、

「明日、医師に相談する」

という小さな光である。

時には、

「友人に電話する」

という小さな光である。

時には、

「主よ、助けてください」

という一言である。

その小さな光を大切にしてください。

あなたの物語は、まだ終わっていません。

— Prof. Dr. Larry Adams