SERIES IV
DEPRESSION, DESPAIR, LOSS AND HOPE
第18巻
愛する人を失ったあとで
死別、悲嘆、記憶、信仰、そして希望
After the Loss of Someone You Love
著者
Prof. Dr. Larry Adams
献辞
この本を、
愛する人を失ったすべての人へ。
突然、大切な人を失った人へ。
長い病気の末に家族を見送った人へ。
若くして親を失った人へ。
配偶者を失った人へ。
子どもを失った人へ。
親しい友人を失った人へ。
そして、何年経ってもなお、その人を思い出して涙を流す人へ。
この本を捧げます。
あなたの悲しみを急いで終わらせる必要はありません。
あなたの愛した人を忘れる必要もありません。
あなたの涙を恥じる必要もありません。
はじめに
愛する人を失ったあとで
愛する人を失ったあと、世界は同じように見えても、実際には以前と同じ世界ではなくなる。
朝起きる。
しかし、その人からメッセージが来ない。
電話をかけようとして、もう電話する必要がないことを思い出す。
食事をしていて、その人がいつも座っていた場所を見る。
街を歩いていて、その人と行った場所を通る。
誕生日が来る。
記念日が来る。
クリスマスが来る。
新年が来る。
そして、そのたびに、
「もうこの人はいない」
という現実が再び胸に入ってくる。
死別とは、単に「誰かがいなくなる」ことではない。
それは、生活の一部、人間関係、家庭の構造、未来への計画、役割、記憶、そして自分自身のアイデンティティの一部が変化する経験でもある。
WHOは、愛する人を失うことに伴う悲嘆を、人間の人生における一般的な経験として位置づけている。多くの場合、悲嘆そのものは精神疾患ではなく、時間の経過とともに苦痛が弱まっていく。しかし、一部の人では、強い悲嘆が長期化し、日常生活に大きな支障をもたらすことがあるため、専門的な評価が重要になる(WHO, 2013; WHO, 2023)。
この本の目的は、
「早く忘れましょう」
と言うことではない。
また、
「もう元気にならなければならない」
と言うことでもない。
本書の目的は、
「愛する人を失ったあと、人間の心には何が起こるのかを理解し、その悲しみを安全に抱えながら、少しずつ人生を再構築していくこと」
である。
そしてキリスト教の視点から、
「死が愛の最後の言葉ではない」
という希望について考えることである。
第1章
「もういない」という現実
死別後、人間の心は現実をすぐには完全に受け入れられないことがある。
「もういない」と頭では理解している。
しかし、心のどこかでは、
「帰ってくるかもしれない」
と感じる。
電話をかけようとする。
話しかけそうになる。
買い物をするとき、その人の好きだったものを思い出す。
これは必ずしも異常な反応ではない。
長い年月を共に過ごした人ほど、その人は生活の中に組み込まれている。
したがって、死別とは単に人間関係を一つ失うことではなく、
日常生活の構造そのものが変わること
なのである。
第2章
悲嘆とは何か
英語には、死別に関係していくつかの言葉がある。
Bereavement――死によって愛する人を失った状態。
Grief――喪失に対して本人が経験する心理的・身体的・社会的反応。
Mourning――悲嘆を社会的・文化的・宗教的に表現する過程。
これらは関連しているが、完全に同じ意味ではない。
悲嘆は心だけの問題ではない。
WHOの資料では、悲嘆には感情、身体感覚、認知、行動など複数の側面があることが説明されている。悲しみ、怒り、罪悪感、不安、孤独、疲労、ショック、切望、麻痺した感覚など、人によってさまざまな反応が現れ得る(WHO, 2013)。
だから、
「私は悲しいからおかしい」
と考える必要はない。
第3章
心理学的立場――死別をどう理解するか
本書の中心的な心理学的立場は、
死別を「一つの感情」ではなく、「人間全体の適応過程」として理解する
ことである。
愛する人を失うと、
感情
悲しみ、怒り、恐れ、罪悪感、孤独、安堵、混乱
認知
「なぜ起きたのか」
「自分に何ができたのか」
「これからどう生きればよいのか」
身体
疲労、睡眠変化、食欲変化、胸の重さ、身体的緊張
行動
泣く、引きこもる、人と話す、思い出を探す
人間関係
孤独、家族の変化、役割の変化
意味
「この人生に何の意味があるのか」
信仰
「神はどこにいるのか」
が同時に動く。
したがって、死別を理解するには、一つの理論だけでは十分ではない。
第4章
愛着理論から見る死別
Bowlby(1980)は、愛着と喪失の研究において、人間が重要な他者との関係をどれほど深く必要としているかを示した。
愛着関係は、単なる「好き」という感情ではない。
安全感を与える。
安心を与える。
帰属感を与える。
人生の出来事を共有する相手になる。
だから、その人を失ったとき、
「悲しい」
だけでは説明できないほどの変化が起こる。
それは、
「自分の安全基地が失われた」
ように感じられることさえある。
特に配偶者、親、子どもなど、長期間の愛着関係にある人を失った場合、その影響は非常に深くなり得る。
第5章
心理学的理解――悲嘆は一直線ではない
悲嘆を、
「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」
という固定された順序だけで理解するのは適切ではない。
人間はそのように機械的には悲しまない。
朝は平気だったのに、午後に突然泣くことがある。
数日間元気だったのに、写真を見て急に崩れることもある。
笑っている自分に罪悪感を覚えることもある。
悲しんでいる最中に、楽しい時間を過ごすこともある。
WHOも、悲嘆には「正しい一つの感じ方」があるわけではなく、悲しみ、麻痺、楽しめる瞬間などが時間の中で変化し得ると説明している(WHO, 2013)。
したがって、
笑ったから、愛する人を忘れたわけではない。
第6章
泣かない人も悲しんでいる
すべての人が涙を流すわけではない。
泣けない人もいる。
仕事を続ける人もいる。
葬儀の準備をする人もいる。
家族を支えるために感情を抑える人もいる。
感情が麻痺したように感じる人もいる。
WHOの心理社会的支援に関する資料でも、強い感情を表す人もいれば、そうでない人もおり、泣かないことが悲しみの欠如を意味するわけではないと説明されている(WHO, 2013)。
だから、
「泣いていないから冷たい」
とは言えない。
悲嘆には個人差がある。
第7章
「私はもっと何かできたのではないか」
死別後、多くの人が自分を責める。
「あのとき病院にもっと早く連れて行けば。」
「あの電話に出ていれば。」
「あの日、もっと話していれば。」
「もっと優しくすればよかった。」
「最後にもっと愛していると言えばよかった。」
この「もしも」は、悲嘆の中で非常に強くなる。
しかし、人間は過去を完全には支配できない。
その時点で持っていた情報、能力、状況の中で行動していた。
だから、
後から知ったことを使って、過去の自分を裁き続けないこと
が重要である。
第8章
生存者罪悪感
自分が生きていて、愛する人が亡くなったことに罪悪感を覚える人がいる。
「なぜ自分ではなく、この人だったのか。」
「私は生きていていいのだろうか。」
という感覚である。
これは非常に苦しい。
しかし、生き残ったこと自体が罪ではない。
生きていることは、その人を裏切ることではない。
むしろ、
その人との関係を自分の人生の中で新しい形で持ち続けること
もできる。
第9章
「忘れること」と「前に進むこと」は違う
悲嘆の大きな誤解の一つは、
「回復=忘れること」
という考えである。
しかし、愛した人を忘れる必要はない。
写真を見ること。
思い出を話すこと。
名前を呼ぶこと。
その人の好きだったものを大切にすること。
記念日に祈ること。
慈善活動をすること。
家族に思い出を伝えること。
こうした方法によって、人は故人との関係を新しい形で持ち続けることができる。
Neimeyer(2001)は、喪失後の適応において「意味の再構築」が重要であることを論じた。
つまり、
関係が消えるのではなく、関係の形が変わる
という理解も可能なのである。
第10章
継続する絆
死によって物理的な関係は終わる。
しかし心理的・象徴的な関係が必ずしも消えるわけではない。
故人から学んだ価値観。
故人の言葉。
故人から受けた愛。
故人との思い出。
故人が残した生き方。
これらは生きている人の中に残る。
だから、
「まだ故人を思っているから回復していない」
とは限らない。
むしろ、健全な適応の中で、故人とのつながりを新しい形で保つことができる場合がある。
第11章
記憶は痛みであり、同時に贈り物でもある
最初の頃、思い出は痛い。
写真を見ることができない。
声を聞きたくない。
その人の部屋に入れない。
しかし時間とともに、思い出の意味が変化することがある。
最初は、
「いない」
ことを思い出させる写真が、
やがて、
「一緒に過ごせた」
ことを思い出させる写真になる。
悲しみが完全に消えるわけではない。
しかし悲しみの中に感謝が混ざることがある。
第12章
家の中が変わる
死別後、家の中には「空白」が生まれる。
椅子。
ベッド。
食器。
服。
本。
写真。
靴。
机。
その人が使っていた物。
物は記憶を呼び起こす。
だから遺品整理は単なる片付けではない。
それは心理的な作業でもある。
急いですべてを処分する必要はない。
逆に、すべてを永遠に保存しなければならないわけでもない。
その人と残された家族にとって適切なペースを考えることが重要である。
第13章
家族全体が悲しんでいる
一人が亡くなると、家族全員の役割が変わる。
父を失えば、母と子どもの関係が変わる。
母を失えば、家庭内の責任が変わる。
配偶者を失えば、生活、経済、子育て、社会的役割が変わる。
だから悲嘆は個人だけの問題ではない。
家族システム全体の変化
でもある。
家族がお互いの悲しみ方を尊重することが重要である。
第14章
子どもの悲嘆
子どもも深く悲しむ。
しかし、子どもは大人と同じ方法では悲しまないことがある。
遊んでいる。
笑っている。
突然泣く。
学校に行きたくない。
怒る。
眠れない。
幼くなるような行動をする。
これらの反応をすべて「問題行動」と決めつけるのではなく、喪失への反応として理解する必要がある。
WHOは、親や養育者を失った子ども・青年について、保護と継続的な支援的養育、社会情緒的支援が重要であるとしています(WHO, 2013)。
子どもには、
「悲しんでいい」
「質問していい」
「分からないことを聞いていい」
という安全な環境が必要である。
第15章
高齢者の死別
高齢者にとって配偶者や長年の友人を失うことは、生活全体の大きな変化になる。
長年一緒に暮らした人を失う。
食事を共にする相手がいなくなる。
話す相手がいなくなる。
買い物や病院に一緒に行く人がいなくなる。
社会的孤立が強くなることもある。
したがって、
「高齢だから仕方ない」
と考えてはいけない。
年齢に関係なく、悲しみには人間的な支援が必要である。
第16章
配偶者を失ったあとで
配偶者を失うことは、愛する人を失うだけではない。
「夫」「妻」という役割も変わる。
「一緒に暮らす」という生活構造も変わる。
経済的責任も変わる。
家庭内の仕事も変わる。
将来の計画も変わる。
だから悲嘆が深いのは自然なことである。
「もう一人で生きられない」
と感じる人もいる。
しかし、回復とは故人を置き去りにすることではない。
故人から受け取った愛を抱えながら、新しい生活の形を作ることである。
第17章
親を失ったあとで
親を失うことは、年齢に関係なく深い経験である。
40歳でも、
60歳でも、
80歳でも、
親を失えば「子どもである自分」が悲しむ。
親がいることは、年齢以上に心理的な意味を持つことがある。
「自分の人生の証人が一人いなくなった」
と感じる人もいる。
親の声。
親の料理。
親の習慣。
親から聞いた話。
それらが突然、過去になる。
その悲しみを急いで消す必要はない。
第18章
子どもを失ったとき
子どもの死は、親にとって極めて深い喪失となり得る。
「親が子どもより先に死ぬ」という一般的な人生の期待が逆転するため、未来の想像そのものが崩れることがある。
学校。
卒業。
結婚。
仕事。
家族。
誕生日。
これから起きるはずだった未来が失われる。
だから、
「時間が解決する」
という単純な言葉では説明できない。
このような深い喪失には、長期的な家族支援、心理的支援、信仰共同体による支援などが必要になることがある。
第19章
自殺による死別
自殺によって愛する人を失った場合、悲嘆に加えて、
「なぜ?」
「どうして気づけなかったのか?」
「自分に何ができたのか?」
という問いが強く残ることがある。
また、社会的な偏見や沈黙によって悲しみを話しにくくなることもある。
WHOは2025年に、自殺による死別を経験した人々のための支援グループについて専門的資料を公表し、こうしたグループが沈黙を破り、孤立やスティグマを減らし、悲嘆を語れる場を提供し得るとしています。同時に、支援グループは専門的支援の代替ではないことも明記されています(WHO, 2025)。
自殺による死別では、
故人の死の責任を一人の遺族が背負うべきではない。
ということを特に強調したい。
自殺は複雑な要因が絡み合う現象であり、遺された家族がすべてを説明できるわけではない。
第20章
怒りも悲嘆である
悲嘆は悲しみだけではない。
怒りが出ることもある。
医師に怒る。
家族に怒る。
故人に怒る。
神に怒る。
自分に怒る。
「どうして私を置いていったの?」
という感情が生まれることもある。
怒りは、愛の存在と矛盾しない。
むしろ、
「もっと一緒にいたかった」
という痛みの表現であることもある。
第21章
神に怒ってもいいのか
キリスト教徒の中には、
「神に怒ってはいけない」
と考える人がいる。
しかし聖書の祈りには、神への率直な問いが存在する。
詩篇には、
「なぜですか」
という問いがある。
ヨブ記には、
「なぜ」
という深い苦しみがある。
したがって、信仰とは質問を禁止することではない。
「神よ、私は分かりません」
と祈ることも信仰の一つの形になり得る。
第22章
ヨブの悲しみ
ヨブは大きな喪失を経験した。
財産。
家族。
健康。
社会的地位。
彼の人生は大きく崩れた。
そして、彼の友人たちは苦しみの理由を説明しようとした。
しかし、苦しんでいる人にすぐ説明を与えることが必ずしも助けになるわけではない。
悲しんでいる人には、
「なぜこうなったのか」という説明より、「あなたと一緒にいる」という存在
が必要なことがある。
第23章
イエスは涙を流された
ヨハネ11章35節。
「イエスは涙を流された。」
これはキリスト教的悲嘆理解において非常に重要な言葉である。
イエスは死を前にして涙を流された。
つまり、
涙は信仰の反対ではない。
悲しみは信仰の失敗ではない。
泣くことは神を信じていない証拠ではない。
イエス自身が涙を流された。
だから、悲しんでいる人に、
「クリスチャンなら泣くべきではない」
とは言えない。
第24章
希望と悲嘆は同時に存在できる
人間は、
悲しみながら希望を持つことができる。
泣きながら感謝することができる。
寂しさを感じながら愛を感じることができる。
故人を恋しく思いながら未来を生きることができる。
これらは矛盾ではない。
人間の感情は、一度に複数の感情を持つことができる。
だから、
「私は悲しいのに笑った」
ということを罪悪感に変えなくてよい。
第25章
心理学的立場――二重過程モデル
Stroebe and Schut(1999, 2001)は、悲嘆への適応を理解するために「二重過程モデル」を提案した。
この考え方では、人は、
喪失志向
故人を思い出す。
悲しむ。
泣く。
死について考える。
思い出を振り返る。
と、
回復志向
新しい役割を学ぶ。
仕事をする。
家庭を整える。
新しい生活を作る。
将来について考える。
との間を行き来する。
これは非常に重要である。
つまり、
故人を思い出す時間と、人生を前に進める時間の両方が必要である。
第26章
「今日は元気だった」ことを罪にしない
死別後、笑った自分を責める人がいる。
「こんなに笑ってしまっていいのだろうか。」
「亡くなった人に申し訳ない。」
しかし、笑うことは裏切りではない。
生きることは裏切りではない。
食べることは裏切りではない。
旅行することは裏切りではない。
再び幸せを感じることも、裏切りではない。
あなたが幸せになることで、故人への愛が小さくなるわけではない。
第27章
記念日反応
誕生日。
命日。
結婚記念日。
クリスマス。
新年。
卒業式。
家族のイベント。
こうした日には悲しみが強くなることがある。
これは「また元に戻った」という意味ではない。
記憶と感情が結びついているからである。
そのような日は、
静かに過ごす。
写真を見る。
家族と話す。
墓参りをする。
祈る。
手紙を書く。
故人の好きだった料理を作る。
など、自分にとって意味のある方法で過ごすことができる。
第28章
手紙を書く
故人に手紙を書くことがある。
「ありがとう。」
「ごめんなさい。」
「会いたい。」
「あなたがいなくなって寂しい。」
「私はこれからこう生きていきます。」
この手紙を誰かに見せる必要はない。
これは心理的に感情と意味を整理するための一つの方法になり得る。
第29章
故人から受け取ったもの
自分に問いかける。
「この人は私に何を残してくれたのだろう。」
優しさ。
信仰。
働く姿勢。
家族を大切にすること。
ユーモア。
忍耐。
教育。
料理。
音楽。
言葉。
小さな習慣。
その人は亡くなっても、
その人から受け取ったものまで死ぬわけではない。
第30章
「意味の再構築」
Neimeyer(2001)は、喪失後に人生の意味を再構築することの重要性を論じた。
これは、
「死には良い意味があった」
と考えることではない。
悲惨な出来事を無理に美化することでもない。
むしろ、
「この出来事の後、私はどうやって人生を理解していくのか」
という問いである。
「私はこの人の記憶をどう生きるのか。」
「この経験から何を学ぶのか。」
「これから誰を大切にするのか。」
そうした問いが、少しずつ新しい人生の物語を作る。
第31章
レジリエンス――人間は回復することができる
Bonanno(2004)は、重大な喪失やトラウマの後にも、人間にはさまざまな適応パターンが存在することを論じた。
ここで重要なのは、
「強い人は悲しまない」
という考えではない。
レジリエンスとは、痛みがなかったことではない。
痛みが存在しても、時間の中で適応する可能性があるということである。
第32章
長引く悲嘆について
多くの人は時間とともに悲嘆の強さが変化していく。
しかし、一部の人では、非常に強い切望、故人への強いとらわれ、死を受け入れることの極端な困難、生活機能の大きな低下などが長く続くことがある。
WHOのガイダンスでは、強い悲嘆が長期にわたり日常生活の機能に大きな支障をもたらす場合、専門家による評価が必要になる可能性が示されている(WHO, 2023)。
重要なのは、
「何か月経ったら必ず悲しみが終わる」
という固定的な基準を押しつけないことである。
文化、関係性、死の状況、本人の心理状態によって異なる。
第33章
うつ病と悲嘆
悲嘆とうつ病は重なる部分がある。
しかし同一ではない。
悲嘆では故人を思い出すことで悲しみが強くなる一方、それ以外の時間には喜びやつながりを感じられることもある。
一方、うつ病では、抑うつ気分や興味・喜びの喪失が広範囲に続くことがある。
WHOは、うつ病には有効な心理療法などの治療があり、強い症状がある場合には医療・心理専門職への相談を勧めている(WHO, 2026)。
したがって、
「悲しんでいるだけ」
と決めつけるのも、
「悲しんでいるからうつ病」
と決めつけるのも適切ではない。
第34章
悲嘆と身体
悲嘆は身体にも現れる。
疲れる。
眠れない。
食欲が変わる。
集中できない。
身体が重い。
胸が苦しいように感じる。
何もする気が起きない。
WHOの資料でも、悲嘆は心理的・身体的・認知的・行動的な側面を持つと説明されている(WHO, 2013)。
だから悲嘆中の人には、
「気持ちの問題だから我慢しなさい」
と言うのではなく、
睡眠、
食事、
休息、
医療、
心理支援
などを含めた全人的なケアが必要になる。
第35章
悲しんでいる人に何を言えばいいのか
完璧な言葉はない。
しかし、次の言葉は役立つことがある。
「本当に残念でしたね。」
「あなたがどれだけ大切に思っていたか分かります。」
「話したくなったら、いつでも聞きます。」
「一人で抱えなくていいですよ。」
「今日は何か手伝えることがありますか。」
「食事を持ってきましょうか。」
「一緒にいてもいいですか。」
最も大切なのは、
悲しみを急いで消そうとしないこと
である。
第36章
言ってはいけないこと
善意でも避けたほうがよい言葉がある。
「時間が解決するよ。」
「もっと強くならないと。」
「もう忘れたほうがいい。」
「神様には計画があるから。」
「泣かないで。」
「少なくとも長生きできたじゃない。」
「もっと大変な人もいる。」
これらは相手の痛みを小さく感じさせることがある。
説明する前に、まず共に悲しむ。
第37章
教会と悲嘆
教会は、死別した人を支える重要な共同体になり得る。
礼拝。
祈り。
聖餐。
聖書。
牧会。
食事。
訪問。
葬儀。
記念礼拝。
共同体。
これらは悲嘆の中にいる人を孤立から守ることがある。
WHOも、社会的支援や信頼できる人とのつながりが、悲嘆を経験する人への支援として重要であるとしています(WHO, 2013)。
第38章
神学的理解――死と希望
キリスト教は、死を否定しない。
死は現実である。
悲しみも現実である。
しかし、キリスト教は死を最終的な希望とはしない。
ヨハネ11章では、イエスがラザロの死を前に涙を流された。
同時に、復活と命について語られた。
ここには、
悲しみと希望の同時性
がある。
クリスチャンは泣いてよい。
しかし、涙だけが最後の言葉ではない。
第39章
「主は私の羊飼い」
詩篇23篇は、死別の時にも多くの人にとって深い意味を持つ。
「死の陰の谷」
という表現は、人間の人生に暗い谷があることを認めている。
信仰とは、
「谷が存在しない」
と言うことではない。
「谷を歩くときにも、自分は完全に一人ではない」
と信じることでもある。
第40章
神の臨在と沈黙
悲しんでいる人は、
「神はどこにいるのか」
と問うかもしれない。
祈っても何も感じないことがある。
聖書を読んでも慰められないことがある。
教会に行っても空虚に感じることがある。
それを直ちに「信仰が弱い」と解釈する必要はない。
悲嘆は、信仰生活そのものにも影響する。
だから、
「今は神を感じられません」
という祈りも、一つの正直な祈りになり得る。
第41章
恵みは完璧さを要求しない
死別後、
「私はもっと強くなければ」
と考える人がいる。
しかしキリスト教の恵みは、完璧な人への報酬ではない。
弱い人。
傷ついた人。
疲れた人。
泣いている人。
そうした人にも向けられる。
だから、
悲しみながら信仰を持ってよい。
第42章
「愛する人のために生きる」
死別後、
「もう生きる意味がない」
と感じることがある。
しかし、故人を愛していたからこそ、
その人から受け取った愛を次の世代に渡す
という生き方もできる。
親から受け取った愛を子どもへ。
教師から受け取った知恵を学生へ。
友人から受け取った優しさを他者へ。
配偶者から受け取った愛を家族へ。
このように、愛は人から人へ受け渡されることがある。
第43章
「生きることは忘れることではない」
これは本書の重要な一文である。
生きることは、忘れることではない。
生きることは、
その人が自分の人生に残したものを持って歩くことでもある。
だから、笑っていい。
旅行していい。
新しい友人を作っていい。
新しい仕事をしていい。
再婚することも、人によっては人生の一部になる。
幸せになることは、故人への裏切りではない。
第44章
新しい未来を恐れない
未来を考えることに罪悪感を持つ人がいる。
「この先幸せになったら、あの人を忘れてしまう。」
しかし、人間の心はそれほど単純ではない。
新しい喜びと過去の愛は共存できる。
未来へ進むことと、過去を愛することも共存できる。
第45章
悲嘆の中で自分をケアする
死別後のセルフケアには、
十分な休息。
できる範囲での食事。
水分。
適度な身体活動。
人とのつながり。
宗教的・文化的儀礼。
心理的支援。
医療的支援。
生活リズム。
などが含まれる。
WHOは、悲嘆中の人について、基本的なニーズへの支援、社会的支援への接続、可能な範囲で通常の活動へ戻ることなどを重視している(WHO, 2013)。
第46章
30日間の小さな悲嘆ケア
ここで紹介するものは治療プログラムではない。
悲嘆の中で生活を支えるための小さな提案である。
1日目
「私は悲しんでいる」と認める。
2日目
信頼できる人に話す。
3日目
十分な水分を取る。
4日目
故人との大切な思い出を一つ書く。
5日目
少し外に出る。
6日目
祈る。
7日目
休む。
8日目
写真を見る。
9日目
「ありがとう」と言葉にする。
10日目
自分を責めていることを書く。
11日目
その罪悪感について誰かと話す。
12日目
食事を大切にする。
13日目
睡眠を整える。
14日目
教会または信頼できる共同体につながる。
15日目
故人から学んだことを書く。
16日目
怒りを認める。
17日目
悲しみを認める。
18日目
笑ったことを罪にしない。
19日目
一人で抱えていないか確認する。
20日目
必要なら専門家に相談する。
21日目
故人の好きだったものを思い出す。
22日目
未来について一つだけ考える。
23日目
「私はまだ生きている」と認める。
24日目
自分に優しい言葉をかける。
25日目
誰かに感謝する。
26日目
自分が受け取った愛について考える。
27日目
これから大切にしたい価値を書く。
28日目
故人のために祈る。
29日目
自分のために祈る。
30日目
「これからどう生きたいか」を一ページ書く。
第47章
専門家に相談するべきとき
悲嘆そのものは自然な経験である。
しかし、
日常生活が長期間大きく崩れている。
強い絶望が続く。
眠れない状態が続く。
食事が取れない。
仕事や学校にほとんど参加できない。
強い不安やパニックが続く。
故人への切望やとらわれが非常に強く続く。
自分を傷つけたいと感じる。
死にたいという考えが出てくる。
という場合には、専門家への相談が重要である。
WHOのガイダンスでも、長期間にわたる強い悲嘆と日常生活機能の大きな低下がある場合には、専門家による評価が勧められている(WHO, 2023)。
第48章
自分の安全が危ういとき
死別後の苦痛が非常に強く、
「生きていたくない」
「自分を傷つけたい」
「もう耐えられない」
という状態になった場合には、一人で抱え込まないことが重要である。
信頼できる人に、
「今、一人でいるのが危険かもしれない」
と伝える。
医師、心理職、病院、危機支援、地域の緊急サービスなどにつながる。
WHOは、自殺念慮がある場合、信頼できる人や医療・心理専門職に話すことを勧め、緊急の危険がある場合には緊急サービスや危機支援につながるよう勧めている(WHO, 2026)。
これは弱さではない。
命を守るための行動である。
第49章
愛は死によって完全に消えるのか
この問いに、心理学と神学は異なる言葉で答える。
心理学的には、愛着や記憶、意味、アイデンティティの一部は、死後も生きている人の中に残る。
神学的には、キリスト教は愛を死よりも大きな希望の中に置く。
第一コリント13章は、愛について語る。
ローマ8章は、神の愛から引き離されない希望を語る。
黙示録21章は、涙がもはやない未来を描く。
だから、
死は関係を物理的に変えるが、愛の意味を完全に消すとは限らない。
第50章
愛する人を失ったあとで
愛する人を失ったあと、あなたは以前と同じ人ではないかもしれない。
それは必ずしも悪いことではない。
あなたは、
人の痛みをより理解するようになるかもしれない。
時間の価値を知るようになるかもしれない。
家族をもっと大切にするようになるかもしれない。
「ありがとう」をもっと言うようになるかもしれない。
人生を急がなくなるかもしれない。
信仰について深く考えるようになるかもしれない。
そしてある日、
「まだ寂しい。でも、私は生きている。」
と言えるようになるかもしれない。
それでいい。
悲しみが完全に消えなくてもいい。
愛した人を忘れなくてもいい。
涙が出てもいい。
そして、
生きていい。
結論
愛は、思い出の中だけに閉じ込められない
愛する人を失ったあと、人は二つの人生を同時に生きることがある。
一つは、
その人がいない人生。
もう一つは、
その人から受け取ったものを抱えて生きる人生。
前者は痛い。
しかし後者には意味がある。
あなたが受け取った愛。
教えられたこと。
一緒に過ごした時間。
笑った瞬間。
泣いた瞬間。
許された経験。
許した経験。
それらはあなたの人生の一部になっている。
だから、
愛する人を忘れる必要はない。
悲しみを急いで終わらせる必要もない。
ただ、
少しずつ生きていけばいい。
一日ずつ。
時には一時間ずつ。
時には一歩ずつ。
そして、キリスト教の希望の中で、
「涙が最後の言葉ではない」
という約束を抱えることができる。
著者から読者へ
あなたの愛は無駄ではなかった
親愛なる読者へ。
もしあなたが愛する人を失ったばかりなら、
今はこの本のすべてを理解しようとしなくていい。
一ページだけ読んでください。
一つの言葉だけ受け取ってください。
あなたの悲しみは、あなたが愛した証拠でもあります。
誰かを深く愛したからこそ、その人がいなくなったことが痛い。
だから、悲しみを恥じないでください。
泣いてください。
話してください。
祈ってください。
必要なら専門家に相談してください。
誰かと一緒にいてください。
そして、
あなた自身を責め続けないでください。
あなたは、過去を変えることはできません。
しかし、これからの人生を少しずつ生きることはできます。
故人の代わりに生きる必要はありません。
故人を忘れて生きる必要もありません。
故人から受け取った愛を抱いて、自分自身の人生を生きてください。
そして、いつの日か、
涙の中に感謝が混ざるかもしれません。
「この人に出会えてよかった。」
「愛することができてよかった。」
「一緒に過ごせてよかった。」
その言葉を言える日が来るかもしれません。
それは忘却ではありません。
それは、
愛が新しい形を見つけたということです。
付録A
本書の心理学的立場・理論的基盤
本書では、死別を以下の統合的モデルで理解する。
1.愛着理論
Bowlby(1980)に基づき、重要な他者との愛着関係が喪失後の反応に深く関係すると理解する。
2.意味再構築
Neimeyer(2001)に基づき、喪失後には人生の意味と自己理解を再構築する過程が重要であると考える。
3.二重過程モデル
Stroebe and Schut(1999, 2001)に基づき、人は喪失を考える過程と、新しい生活に適応する過程を行き来すると理解する。
4.レジリエンス
Bonanno(2004)に基づき、人間には重大な喪失後にもさまざまな適応可能性があると理解する。
5.認知的理解
Beck(1976)の認知理論を参考に、死別後に生じる罪悪感、自己否定、破局的思考などを検討する。
6.社会的支援
人間の回復は個人だけでなく、家族、友人、共同体、専門家との関係の中でも生じると理解する。
WHOも、精神的健康には個人、家族、地域、社会的・構造的要因が相互に関係すると説明している(WHO, 2026)。
7.文化的悲嘆
悲嘆の表現は文化、宗教、家族、社会によって異なる。
したがって、一つの文化の悲嘆モデルをすべての人に機械的に適用すべきではない。
8.キリスト教的意味理解
信仰は悲嘆を否定するものではなく、苦しみ、死、愛、意味、希望を考えるための宗教的・霊的枠組みとして理解する。
付録B
家族のための「悲しんでいる人への10の原則」
- 急がせない。
- 比較しない。
- 「もう忘れなさい」と言わない。
- 話を聴く。
- 沈黙も尊重する。
- 食事や生活を支える。
- 記念日や命日を尊重する。
- 必要なら専門家につなぐ。
- 故人について話すことを恐れない。
- 長期的に連絡を続ける。
付録C
教会・牧会者のための原則
悲嘆を説教だけで解決しない
祈りは重要である。
聖書も重要である。
しかし、深刻な悲嘆を経験している人に対して、
「祈れば大丈夫」
とだけ言うことは適切ではない場合がある。
牧会的支援は、
祈り、
傾聴、
訪問、
共同体、
実際的支援、
専門家への紹介
を含むことができる。
WHOのコミュニティ・メンタルヘルスに関するガイダンスも、人中心・権利基盤の支援と地域社会に根ざしたサービスの重要性を強調している(WHO, 2021)。
付録D
故人に宛てた手紙
悲嘆の中にいる人は、次のような手紙を書くこともできる。
「あなたへ。
あなたがいなくなってから、毎日が変わりました。
あなたがいた場所を見ると、あなたを思い出します。
まだ寂しいです。
まだ涙が出ます。
もっと話したかった。
もっと一緒にいたかった。
言えなかったこともあります。
ごめんなさい。
ありがとう。
あなたから受け取ったものを、私はこれからの人生で大切にします。
あなたを忘れるのではなく、
あなたとの思い出を抱えて、
私はこれからも生きていきます。」
この手紙を誰かに見せる必要はない。
書くこと自体が、自分の感情を整理する一つの方法になり得る。
参考文献
References
American Psychiatric Association. (2022). Diagnostic and statistical manual of mental disorders (5th ed., text rev.; DSM-5-TR). American Psychiatric Association Publishing.
Beck, A. T. (1976). Cognitive therapy and the emotional disorders. International Universities Press.
Bonanno, G. A. (2004). Loss, trauma, and human resilience: Have we underestimated the human capacity to thrive after extremely aversive events? American Psychologist, 59(1), 20–28.
Bowlby, J. (1980). Attachment and loss: Vol. 3. Loss, sadness and depression. Basic Books.
Frankl, V. E. (2006). Man's search for meaning. Beacon Press. (Original work published 1946.)
Neimeyer, R. A. (2001). Meaning reconstruction & the experience of loss. American Psychological Association.
Pargament, K. I. (1997). The psychology of religion and coping: Theory, research, practice. Guilford Press.
Stroebe, M., & Schut, H. (1999). The dual process model of coping with bereavement: Rationale and description. Death Studies, 23(3), 197–224.
Stroebe, M., & Schut, H. (2001). Models of coping with bereavement: A review. In M. S. Stroebe, R. O. Hansson, W. Stroebe, & H. Schut (Eds.), Handbook of bereavement research: Consequences, coping, and care (pp. 375–403). American Psychological Association.
World Health Organization. (2013). Guidelines for the management of conditions specifically related to stress. World Health Organization.
World Health Organization. (2013). mhGAP intervention guide: Mental health gap action programme. World Health Organization.
World Health Organization. (2021). Guidance on community mental health services: Promoting person-centred and rights-based approaches. World Health Organization.
World Health Organization. (2023). Mental Health Gap Action Programme (mhGAP) guideline for mental, neurological and substance use disorders. World Health Organization.
World Health Organization. (2025). Preventing suicide: How to start a suicide bereavement support group. World Health Organization.
World Health Organization. (2026). Depressive disorder (depression). World Health Organization.
World Health Organization. (2026). Mental health: Strengthening our response. World Health Organization.
聖書参考箇所
Biblical References
創世記 1:27
詩篇 23篇
詩篇 34篇
詩篇 42篇
詩篇 46篇
詩篇 55篇
詩篇 88篇
イザヤ書 41:10
哀歌 3:21–24
ヨブ記 1–42章
マタイ 5:4
マタイ 11:28–30
ヨハネ 11:1–44
ヨハネ 11:35
ヨハネ 14:1–3
ローマ 5:1–5
ローマ 8:18–39
コリント第二 1:3–4
コリント第二 4:7–18
ピリピ 4:6–7
第一コリント 13:1–13
第一テサロニケ 4:13–18
ヘブル 4:14–16
黙示録 21:1–5
著者紹介
Prof. Dr. Larry Adams
Prof. Dr. Larry Adams is an academic, professor, doctoral educator, researcher, author, and higher-education leader whose work encompasses doctoral education, research supervision, business studies, organizational development, leadership, education, and interdisciplinary scholarship.
His writing explores the relationship between education, human development, leadership, meaning, ethics, social responsibility, faith, and human wellbeing.
Through this series, Prof. Dr. Larry Adams seeks to bring together psychological understanding, scholarly research, human experience, and Christian reflection in order to address difficult subjects with compassion, intellectual seriousness, dignity, and hope.
SERIES IV
DEPRESSION, DESPAIR, LOSS AND HOPE
第16巻
生きることに疲れたあなたへ
To the Person Who Is Tired of Living
第17巻
涙が止まらないとき
When the Tears Won't Stop
第18巻
愛する人を失ったあとで
After the Loss of Someone You Love
第19巻
失ったものを抱えて生きる
Living With What We Have Lost
第20巻
もう一度、明日を信じる
Believing in Tomorrow Again
最後の言葉
「さようなら」は、愛の否定ではない
愛する人を失ったあと、
あなたは泣くかもしれない。
怒るかもしれない。
混乱するかもしれない。
笑うかもしれない。
また泣くかもしれない。
それでいい。
悲嘆には決められた速度がない。
あなたの悲しみは、他人の時計で測る必要はない。
そして、
あなたがもう一度笑う日が来ても、
あなたが故人を裏切ったわけではない。
あなたが未来を考えても、
過去の愛が消えたわけではない。
あなたが生きても、
その人との関係を否定したことにはならない。
むしろ、
あなたが生きることそのものが、その人から受け取った人生への応答になることがある。
だから、
泣いてください。
思い出してください。
祈ってください。
助けを求めてください。
そして、
ゆっくり生きてください。
愛した人を忘れなくてもいい。
悲しみを急いで終わらせなくてもいい。
ただ一歩ずつ歩いてください。
そしてキリスト教の希望の中で、
「涙は永遠の最後の言葉ではない」
という約束を心に置いてください。
いつか、
涙の中に感謝が生まれるかもしれません。
孤独の中に愛を感じるかもしれません。
思い出の中に平安を見つけるかもしれません。
そして、
「私はこの人を愛した。そして今も、その愛によって生きている。」
と言える日が来るかもしれません。
その日まで、
どうか自分を責めないでください。
あなたは悲しんでいい。
あなたは助けを求めていい。
あなたは生きていい。
愛する人を失ったあとでも、あなたの人生にはまだページが残っています。
Prof. Dr. Larry Adams